そろそろ小2を迎える娘。宿題のない春休みは、「ホームモンテッソーリ」の絶好のチャンスです。エレメンタリーのカリキュラムと現在の娘を照らし合わせながら、あれもこれもと心躍らせる母。けれども、心が躍れば踊るほど、見失いそうになるのがモンテッソーリ教育の本質。
見た目のおしごとの華やかさや、母の興味に合致するおしごとに心奪われ、肝心な娘の心を軽視しがちになってしまいます。そもそもモンテッソーリ教育とは何であるのか。これほどこの教育法に心奪われながらも、どこか前のめりになりすぎて、見失いそうになる時が度々やってきます。
そんな時、いつも思い出すようにしているのは、「娘の内なる声」を聞くことです。モンテッソーリ女史の言葉を借りるのであれば、「内なる教師」。女史は、子どもは自ら育つ力を秘めた存在だと言います。この原動力を「内なる教師」と表現し、大人の仕事はこの「内なる教師」の邪魔をしないこと。
MACTEの教師養成講座を受講中にモンテッソーリアンの講師がシェアしてくれた忘れられないストーリーがあります。当時4歳だった女の子。洗面所に置いてあるお母さんのヘアピンが大好きで、いつも洗面所に行くたびに、このピンを投げてばら撒いたと言います。それを見ていたお母さん。
「早く片付けなさい。」
この一言が喉の奥まで出かかったといいます。けれども、この時モンテッソーリの著書を読んでいたお母さんは、その気持ちをぐっとこらえ、この後どういう行動に我が子が出るのか待ったそうです。
すると、ピンを投げては拾い投げては拾い。この行動を連続14日間繰り返した後、その女の子はピタッとピンを投げるのを止めたそうです。
このお母さんがその時観察したもの。いつもピンを3本の指で拾う我が子を見て、鉛筆を持つ準備が整いつつあることを感じたそうです。
大人にはいたずらにしか見えないこれらの行為。けれども、子どもには自らが育つ力が備わっている。そんな部分を知っているか知らないかで、子育てが全く違ったものになるのでしょう。
小学生となった娘。やらなければならない課題も多い中、「内なる教師」の存在を感じる時は、この声は無視できないと感じています。難しいのは、これを見ようという意識が働かないと、親は全く気付かずにスルーしてしまうという点。
立ってどのように歩くかを教えなくても、どのように日本語を操るのかを教えなくても、自己教育をしてきた子どもたち。こんな彼らの力を信じて援助することが大人の役目だとしたら・・・。
春休みのホームモンテッソーリの計画は・・・。
もう少し再考する必要がありそうです^^;
最近の興味は演奏会で担当したスネアドラム。おもちゃでも気分は十分にドラマーです^^;
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