モンテッソーリの書籍を読んでいると「子どもを観察する」ことの重要性が様々な部分で説かれています。
物事が上手く運ばないとき・・・子どもを観察すると見えてくる。
そんなことを意識して、母自身も娘の観察を行なってきました。
ただ、いくら観察しても見えてこない時もあるのも事実(笑)。
当時の母は、悩んでいました。
モンテッソーリのおしごとと楽しく向き合う娘。
けれども、いつも「ママ、見てて。」と母を隣に呼ぶのです。
母がいなければおしごとが出来ない娘。
どうしたら、母が隣にいなくても向き合うことが出来るのか。
答えを探そうと必死に娘の観察を繰り返しました。
でも、結局探している答えには辿り着かず・・・。
そんな時にモンテッソーリアンの先生から頂いたアドバイス。
「自分を観察する」
どうして子どもがそのような行動をするのか、自分自身を観察してみなさいというものでした。
当時は、こちらの提示を見てくれない娘に手こずり、提示後に同じようにやってくれるだけで満面の笑みだった母。娘の動作一つ一つを確認することばかりに徹し、必要以上に褒めることはしないよう意識していたものの、どこか娘には母が付いて見てくれることが日課となってしまったようでした。
そんなルーティンを作ってしまったのは自分自身。
自分自身を観察して省みることの重要性を身を以って知ったのもこの時でした。
それ以後、母は娘のおしごと時間は、自分の時間とすることを決めました。
ぴったりと真横にくっ付いているのではなく、少し離れたところから見守る姿勢。
何かヘルプを求められれば惜しみなく手は貸すものの、そうでなければ、自分の作業を行なうこと。
娘のおしごと時間に、次のおしごとの準備をすることも増えました。
子どもの観察、自分の観察、そして子どもの観察。
こんなサイクルはこれからも続きそうです^^
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