ミニマリストとモンテッソーリ教具 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

 

最近気になっているキーワードはこちら。

 

「ミニマリスト」

 

今までの人生、この言葉からかなり遠い生活をしてきました。

特に本に囲まれていないと、落ち着かない性分。

 

けれども、唯一「ミニマリスト」にちょっぴり近づいた生活をした時期があります。

それは大学時代。

 

アメリカ人5人と暮らした家を出て、日本人のルームメイト2人アパートを借りて住んだ時。アメリカ人のルームメイトは自宅から色々なものを持ってきていたため、5人も集まれば、必要なものがいつも目の前にあるなんとも便利な暮らし(笑)。日本人のルームメイト2人と住んだ時は、お互い留学生の身。必要最低限の物だけで暮らしました。

 

けれども、なぜかとっても幸せだったあの時期。

憧れのアメリカという地に居られたことだけで、何も必要なかったのでしょう。

 

引越しが決定して、思い出したのが、その時の感覚。

ふと、手にしたのがこちらの1冊でした。

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 

これから数ヶ月の間に、どのように断捨離をすべきか。

そんなヒントを得たくて、手に取った1冊。

 

いかに心豊かに暮らすべきかという精神的な部分について、考え直すきっかけとなりました。

 

モンテッソーリ教育と出会い、教具が一つ増えることで、幸福感でお腹いっぱいになっていた当時。中には娘がほとんど交わらないまま敏感期が過ぎてしまったり、提示を行うことすらチャンスを逃してしまったものもあります。

 

「いくら教具だけが増えても、心豊かにはなれない。」

 

そんなことに気付き始めたのは、モンテッソーリ教育と出会い、何年も経った後でした。

 

エレメンタリーを受講中の今、そろそろエレメンタリーの教具が必要だと分かりながらも、足踏みしている自分もいます。

 

果たして、娘にとって本当に必要なものなのか。

これがなければ、おしごとは不可能なのか。

ホームモンテッソーリとは、教具を揃えることよりも、厳選することが必要なのではないか。

快適な暮らしを求める中でのホームモンテッソーリだとしたら、両者のバランスをいかにとっていくべきか。

 

そんなことが、改めて、頭の中をグルグルしています。

引越しを機に、さらに「ホームモンテッソーリ」の位置付けを考えてみたいと思う毎日。

「ミニマリスト」になることはできなくても、どこかそのエッセンスは忘れずにいたい。

 

アラフォーの心は複雑です(笑)。

 

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