「子どもを毎日10分観察する」
モンテッソーリの関連書籍を読んでいると必ず出てくる「観察」という言葉。
○用意したおしごとに見向きもしない。→観察しましょう。
○敏感期が分からない。→観察しましょう。
○イヤイヤ期がつらい。→観察しましょう。
そんな言葉が繰り返されるたびに、「観察」はしているけど・・・。と、心の中で一人つぶやいていた当時。けれども、当時の母の観察は、モンテッソーリアンの講師陣からすると、決して観察ではなかったようです。
子どもが難しいと感じている部分に気付くこと。
息をするのと同じように、観察することが当たり前になるまで観察すること。
まずは、今からとにかく1日10分意識的な観察を行なってみること。
そんなアドバイスに、騙された思いで向き合いました。
すると、おしごと中だけではなく、日常でも、娘の洗顔の仕方一つから、ご飯の食べ方まで、今まで見えていなかったパターンが見えてきました。
比較的早いうちから一人で入浴は出来ていた娘ですが、お風呂から出ると、いつもお決まりの台詞がありました。
「ママ、来て~」
毎回、脱衣所まで呼ばれていた母(笑)。
そして、気付きました。
娘が自立できていないのではなく、入浴の始まりを知っていても、終わりを知らなかったのです。
「お風呂はね、着替えが終わるまでが、お風呂時間。全部終わったら、ママとお話しようね。」
そんな一言で、意外にも問題は解決。
ゆっくり一緒にお風呂に入るコミュニケーションの時間とは別に、夏の帰宅後のシャワーなど、自分で完結出来ることが増えると、子ども自身も嬉しくなる。観察は、そこへ導く第一歩なのかもしれません。
7歳となってしまった今、意識的な観察時間はなくなってしまいました。
でも、もしかすると無意識に観察している部分はあるのかもしれません。
「子どもを10分観察する」
立ち止まった時には、案外これを始めると見えてくる。やはり、今でもキーワードです^ ^
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