苦手だった感覚教育 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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モンテッソーリ教育において、すべての基礎となると言われている感覚教育。けれども、その独特な教具や提示の手順から、どこか苦手意識を持っていた母。当然、ガイド役の母が苦手意識を持っていれば、子どももそれほど積極的に関わろうとする訳がありません。

けれども最近、失った時間を取り戻すかのように、もう教具棚には置かれていない感覚教具をリクエストして、おしごとを繰り返す傾向にあります。何が娘をそうさせているのか。どこに彼女は惹かれているのか。確信は持てないままでいるものの、なんとなく今になって感覚教具との向き合い方が分かってきたような気がします。

多分娘を動かしているのは「安心感」

説明しづらい部分なのですが、我が家が感覚教育と向き合っていた当初は、母もまだモンテッソーリ教育と出会って2、3年の頃。見よう見まねで提示を行い、母が教師養成講座にて学習した通り、娘にも同じように再現してもらうことを、どこかで願っていました。そこには、彼女自身が見出すべきであろう自己訂正や発見はなく、間違いをおかした時には、母の方がイライラ。

日本モンテッソーリ協会の学会誌第32号の前田瑞枝先生の論文・実践研究「感覚教具の役割と教師の手助け」には、こんな記述があります。

まだ感覚が充分洗練されていない場合は、子どもはよく間違えるが、教具の教育的重要性は、これらの間違いにある。子どもが確実に出来るようになった時、これ等の教具は無用のものとなる。

こんな部分に気付くことが出来なかった当時。
この間違いというゴールデンな瞬間を幾度も逃してきた当時。

でもこの瞬間こそが大切と母が心より納得できた今。
娘は「安心感」を見出だし始めたのでしょう。
幼児期にはそれほど積極的に関わらなかった感覚教具が、今、とてつもなく触りたくなる。そんな時期にいるようです。

この「安心感」とは親子の絆において最も大切な物。
モンテッソーリ教育を通じて、様々なことを学んでいます。
子どもの「間違い」が愛おしく思えた瞬間、母も一歩前へ進んだ瞬間なのかもしれません。

<参考文献>
前田瑞枝『感覚教育の役割と教師の手助け 』、日本モンテッソーリ協会学会誌第32号、1999、67貢。

 

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