娘が3歳の頃、ワークで「反対語」のお勉強をしていたお友達を見て、焦った記憶があります。ワークに美しい字で書き入れていき、終わるとお母さんが丸付けをしてくれます。結果、我が子がどの言葉を知っていてどの言葉を知らないのか把握できるその状況が羨ましくもありました。
・・・が、その頃すでにモンテッソーリにどっぷり漬かっていた我が家が意識したのはモンテッソーリ流「語彙の増やし方」。実際、モンテッソーリ流などと言っても、至極当たり前のことなのですが、ついつい「お勉強」が先に来ると、この当たり前を忘れてしまいがちになります。
それは、「経験と結びつける」ということ。
語彙を教えるのではなく、子どもの経験を増やすことが、結果語彙に結びつくというのがモンテッソーリ流と言えるのでしょう。これは和書のマニュアルにも出てきます。
「実物を通(体験)して事物の表わすことばを正確に理解させる。」(禿美紗子(1981). モンテッソーリ メソッドシリーズ(言語教育)27)
ただ沢山覚えさせるのではなく、正しく理解して使用できるようになること。まさに、正しい文脈においてぴったりのタイミングで言葉を使えてこそ、語彙を自分のものにできた瞬間。語彙の数を増やすことよりも、正しく使えることが大事だと、改めて感じます。
面白いことに、モンテッソーリ教育のおしごとのマニュアルには提示ごとに「語彙」または「使用されることば」などというセクションが設けられています。これは決して子どもに語彙を教え込むためにあるわけではなく、このおしごとを行う際に、子どもが聞くであろう言葉。提示の際、言葉は最小限が原則のモンテッソーリ教育ですが、だからこそ本当に必要な言葉を経験を通じながら習得できる機会なのかもしれません。
実際6歳ともなると、実体験を伴わずに、書籍から言葉を拾うことも往々に出てきていますが、でもこの「経験を通じた語彙習得」はいつも意識したいこと。言語環境への配慮こそが、バイリンガル育児のみならず、今後の教科学習の鍵ともなりそうな気がしています。