幼少期の子どもと知的活動 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

さて、やっと熱も下がり幼稚園へと登園できた娘。・・・と思ったら、もう明日から長い夏休み。働く母にとっては、それほど影響はないのですが、多大な影響を受ける方が約1名。お世話役の実母です。この場を借りてお詫び申し上げます(笑)。

久しぶりの登園でさぞかし疲れただろうと思いきや、母の帰宅後に、おしごとコールがかかりました^^;おしごとのような知的活動は、集中力を要するため疲れるのではないかと思うのですが、どうやら子どもにとっては何のその。

そういえば、前回もご紹介したマリア・モンテッソーリ著のこちらの本に、こんな件があります。

モンテッソーリの教育 0歳~6歳まで
モンテッソーリの教育 0歳~6歳まで

「疲労というたいせつな問題に関して、六歳以下の子どもが、意外な事実を明らかにしています。」

以下長いので要約すると・・・

幼少期には教育をするのは残酷だと考え、親が与えるのは遊びと睡眠。けれども子ども達自身にとっては、それは退屈でしかなく、彼らが望んでいるのは知的活動。知的に活発になることで、強さと健康を獲得していくのだといいます。けれども、その知的活動が与えられないのであれば、子どもたちは玩具で満足するしかありません。でも、もしモンテッソーリ教具と玩具が両方あるとしたら?子どもたちは教具を選ぶのです。

「独力では、理解することも習得することもできない環境に投げ込まれている飢えた精神は、習得できる手がかりを与えられると、ちょうど生命をつなぐのに役だつものなら何でもがつがつと食べる飢えたライオンのように、それにとびかかり、現在までに発展している文明に順応するのです。」
(マリア・モンテッソーリ著「モンテッソーリの教育 0歳~6歳まで」)


おしごとに飢えていた娘が(笑)、この日選んだのは「触覚板」。5段階の粗さや滑らかさが対になった板で、同一性探しや漸次性探しを楽しみます。
photo:01


そして、数字を何度も唱えながら、「数字スタンプ」を楽しみました。
photo:02


相変わらず、プリキュア熱は絶えないものの、実際には玩具よりも知的活動を求める場面が増えてきた最近。おしごとをできる環境にある時は、おしごとを選ぶようになってきました。母が手を離せないときは、玩具を選ぶこともありますが、これは手持ち無沙汰を解消するためにすら見えます。環境さえ整えば、これが自然な運びなのかもしれないですね。

一年前に読んだ時には、どこか懐疑の念を抱いていたのが、今こうして読み返すと、モンテッソーリ女史の言葉の意味が、やっと理解できる部分も少しずつ増えてきました。まだまだ本質を捉えるには、時間がかかりそうですが、再読を繰り返す度に新たな発見があって嬉しいです(*^_^*)

姉妹ブログ「Yuzyな日々~今日も楽しく親子英語~」細々と更新中^^;

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