こんにちは。モンテッソーリリタの田中です。いつもありがとうございます!

今回は早期教育の弊害について書いてみようと思います。

 

早期教育のいったい何が問題なのでしょう?

 

弊害とは、一つ一つの発達段階を十分に経ないまま、次の段階が出来るようになる事でおこる危なさ。

 

例えば、ハイハイを十分にせずに歩けるようになる

話し言葉の自由な発想が育つ前に文字を覚える

足し算、累加の意味を理解し楽しむ前に九九を覚える

 

すると、どのような事が起こりがちかというと、

 

「転びやすくなる」「内発動機がうすれていく」「今の課題の重要性に気付きにくくなる」

 

モンテッソーリ教育では、子供が

 

「切りまくっているだけ」「殴り書きをしまくっているだけ」「水仕事を永遠とやっているだけ」「図鑑を見まくっているだけ」

こういう光景があります。

こうした作業自体に深い意味や目標はあまりなく、この時期ならではの夢中になる活動なのです。

歩く前のハイハイのような状態で、その状態を十分に経たことで、次の活動に夢中になるのです。

 

私がどうしてこの題材を書こうかと思ったかは、2点。この2点を思うきっかけがあったから。

1点目は、多様な意見が混在し、迷いが生じ、育児が楽しめない

2点目は、子供の内発思考への理解が足りない

 

内発思考と難しく述べちゃってますが、子供の「どうして?」のことです。

「それはこうなんじゃないか?」「ああなんじゃないか?」と持論を展開する力のことです。

「どうしてだろう?」と考え事をする。「不思議だな」と思う気持ちを動機にして「こうじゃないか」と口にし練り直す。

答えが定まらないことを考え続ける。

こんな状態を楽しむ子供が減ってきているかな。

大人側に子供が頭を使い試行運転する時間を許す余裕がないという状態が、多くなっているのが気になっています。

 

即座に正しい答えを教え始めると子供は楽しみ方がわからなくなる。

急く大人が多く、正しい答えを教えてあげなければと真面目な方が多い。

 

当教室では、自分の世界に入り、黙々と取り組む子供には「独り言が多い」という共通点があります。

「ああだな」「こうだな」「まあいいや、もう一回したらいいぞ」

こんな子供の親御さんは、子供が自分の頭の中であれこれと考えて、その過程を心から楽しんでいる事を知っている。

子供がぼーっとしていたり、手が止まるとどういう事が頭の中で起こっているのか想像する力をお持ちなのです。

 

子供の頭の中を想像する力を大人側が不足し始めているのは、時代かな?

もしかして、親御さん自身があれこれと考えを巡らせ、自分の心で感じ、考える事を楽しんだという心地よい記憶を

持ち合わせていないのかも知れない。

 

育て方も時代とともにアップデートも必要でしょう。しかし、子供時代の育ち方はそう簡単に変わるものではありません。

生き物ですから。

 

子供の内発思考は客観的事実と異なるものです。この答えであってるね、とはなりません。殆どが間違っています。

でも、それでいいのです。

子供の内発思考が育つ時は、子供は正解を求めているわけではなく、考える事を楽しんでいるのですから。

 

この内発思考は1歳代でも育ってきます。

先日、同じ色の穴に同じ色のコインを落とすお仕事に取り組んでいたA君の動画をインスタグラムに上げました。

「え~こっち?」と言いながら、違う穴にコインを落としました。

すると、正解を教えなくていいのか?という声が届きました。

やり方は示しますが、これが正解とは言いません。

それは、子供の思考力を育むという理由と、子供の楽しみ・考える楽しみを奪わないという理由もあります。

 

こうした内発思考の育ち方、幼児期や学童期の子供の楽しみに理解ある大人が増える事を願っています。