2005年・アメリカ・Hostel
監督:イーライ・ロス
(IMDb:5.7 Metacritic:55 Rotten:59)
「キャビン・フィーバー」のイーライ・ロス監督による大ヒット作。
予想をはるかに超えてヒットしてしまったがために、
アメリカでは“拷問ポルノ”と呼ばれ、一部の保守派から
強烈なバッシングを食らってしまったらしい。
しかし、実際には、残酷描写においても性描写においても
多少過激ではあるものの、正視に耐えないほどではない。
むしろ、その限界点をしっかりとわきまえた頭のよい演出によって、
題材の悪趣味さを一般化することに成功しており、
グロテスクな表現が好きな人にとっては物足りないぐらいかもしれない。
個人的には、グロテスクな表現で怖さを演出するよりも、
正攻法なドキドキ感を煽る恐怖演出の方が好きだ。
グロテスクな表現よりも、この作品が嫌悪された
大きな理由はその悪趣味さにある。
とにかく悪趣味なのだ。
子供たちは平気で殺人を犯すし、
重要かと思われた人物があっさりと自殺したりする。
物語の構成も悪趣味だ。
ホラー映画に見せかけながら、ホラー映画でないことが、
作品の居心地の悪さ、気味悪さを助長する。
本来のホラー映画では、恐怖の対象が何か超自然的な
説明できない不気味さを持っており、そのため、
いくら主人公たちが被害を受けようが、逆に反撃しようが、
観客は何も感じない。むしろ、その恐怖の対象が現れるまでの
恐怖を味わうものであって、被害はその結果でしかない。
しかし、「ホステル」においては、恐怖の対象である
殺人マニアや街の子供たちが、ただの人間として描かれる。
本来であれば、観客を怖がらせるべきシーンで、
加害者側の人間味を描く細かな演出が行われたりする。
恐怖の対象が現れるまでの恐怖はなく、
ただ、その結果としての被害があるだけだ。
つまり、恐怖を演出するための結果ではなく、
ただ、むやみやたらにグロテスクな表現だけを
見せられているような気がしてくるのだ。
つまり、この作品をホラー映画として見ると、
十分に楽しめないことになる。
では、何か。
実は、70年代のいわゆるレイプ・リベンジもの
と呼ばれるジャンルそのものだ。
終盤までは殺人鬼などに主人公たちが襲われるのだが、
最後に、その立場がまるっきり逆転し、主人公たちが
襲う側をコテンパンにしてしまうという、構成。
タランティーノの「デス・プルーフ」もこれの現代的な再現だ。
中盤からの悪趣味さによって、観客に映画自体を嫌悪させる。
そうすることで、この立場逆転のカタルシスが強調されているのだ。
これこそが、冒頭に書いた、題材の悪趣味さの一般化である。
最後に、カタルシスを持ってくることによって、監督自身が
やりたかった悪趣味さをすべて吹き飛ばしてしまう頭の良さなのだ。
下品なように見えて、かなり計算された映画だ。
だが、全体的にいまひとつ盛り上がらないのはどうしてだろうか。
廃工場に到着するまでが、少し退屈すぎる。
スロバキアに到着してからも、事態が動き出すまでの
思わせぶりなシーンが長すぎて、正直、飽きてくる。
三池監督がカメオ出演するあたりになって、
ようやくエンジンがかかり出すのだ。
そして、復讐パートも、もっと大胆に展開させて、
サービス精神旺盛に盛り上げようとしても、
良かったのではないか。
70点