モンスター木村 オフィシャルじゃないブログ☆ボクと上司の競馬日記。 -13ページ目

コラム第6弾【浜中 俊】


はい、どーも。

コラム、3ヶ月ぶりになってしまいました…
過去5回は、馬が4回と騎手が1回。
今回、とある騎手について書こうと思います。。



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「先頭はリーチザクラウン!リーチザクラウン!
ヤマニンウイスカー!スリーロールス!内からスリーロールス!
またまたダンスインザダークか!
スリーロールス!ちょっと外へきれた!ちょっと外へきれた!
大外からセイウンワンダー!セイウンワンダー!
真ん中フォゲッタブル・・・
スリーロールス!
スリーロールスかフォゲッタブルか!」


2009年10月25日。京都11レース菊花賞。
このレースで栄えあるG1ジョッキーの仲間入りをした騎手がいる。

【浜中俊】

約3分3秒の中にあった激闘。
当時21歳だった若者は何を思ったのだろうか。。。


1988年12月25日。福岡県北九州市に誕生。
小さいころから動物が好きだった彼は
故郷・福岡で乗馬を始め
小学校2~3年のときに騎手を目指す。
2004年に競馬学校に入学。
卒業後は栗東の坂口正大厩舎の所属騎手としてデビュー。

弟子をとらないことで有名だった坂口先生が
何故浜中騎手を弟子として受け入れたのか。。。
ここには競馬学校とのやりとりがあった。

競馬学校の関係者から、弟子をとって欲しいと言われた坂口師。
彼が出した条件、それは・・・



『イケメンなら弟子にしてやる。』



こうして坂口師の条件をあっさり(?)クリアした浜中騎手は
晴れて坂口正大厩舎所属騎手として2007年3月3日に中京競馬場でデビュー。
14番人気のコレクトシチーに騎乗し10着と敗れたものの
その約1ヶ月後の4月7日、福島競馬場で初勝利を挙げた。
デビュー年は20勝で、同期の騎手の中では24勝の藤岡康太騎手に次ぐ成績を収めた。

そして翌年、騎手2年目に突入した2008年7月5日。
【デグラーティア】という2歳の牝馬とともに阪神競馬場新馬戦を迎えた。
2番人気に支持された浜中とデグラーティアは
好位追走から直線で抜け出し、上がり最速タイムで2着に21/2馬身差をつけ完勝。
続く1ヶ月後のフェニックス賞でも中団から鋭く抜け出し
ここでも上がり最速タイムで快勝した。
このレースでは新馬戦と同じ1200mでも前走より2.5秒も早いタイムで勝ち
人馬ともに成長した姿をファンに見せつけた。

初の重賞挑戦となった小倉2歳S。
3番人気。
1番人気には新馬戦で後の2歳王者のセイウンワンダーを破った
あやまんジャパン。
あ、ツルマルジャパン。
このレースでも先行集団につけた、浜中とデグラーティア。
道中は馬なりで馬群を追走。直線で抜け出した。
いつもと同じ競馬。
「力はわかっていた。いつも通りの競馬を心がけた」
という浜中の言葉にもあるように
冷静だった浜中は、いつも通りの競馬で同馬を勝利に導き
初重賞制覇を地元の小倉で飾った。

2008年は初重賞制覇、そして前年の20勝を大きく上回る73勝を挙げた飛躍の年となった。


そして2009年。
さらなる飛躍を誓った浜中。
しかし・・・



2009年5月10日 NHKマイルカップ

勝ち馬⇒ジョーカプチーノ
勝利騎手・・・



勝利騎手・・・藤岡康太。。。

同期最初のG1制覇は、デビュー年に浜中を上回る勝利数を挙げた藤岡康太騎手だった。
10番人気のジョーカプチーノを勝利に導き、3連単238万馬券を演出した。
さらに1:32.4のレコードタイムのおまけつきだった。

しかしその年3月、浜中は1頭の馬とめぐりあっていた。
その馬こそ、後に浜中とともに菊花賞を制することになる
【スリーロールス】だった。

スリーロールスのデビューは、後に『伝説の新馬戦』と呼ばれることになる
2008年10月26日の京都5R。
横山典弘を鞍上に4着。
3戦目で勝ち上がるも、6戦目で浜中に手綱が任されるまでは
1戦ごとに鞍上が変わっていた。
浜中が初めて手綱を取ったのは毎日杯だった。
これは前走で手綱を取った福永祐一がワイドサファイアの手綱を取るためであった。
このレースは8着に敗れるものの
次走のはなみずき賞2着、3走目の500万以下のレースで同コンビで初勝利を飾った。
ちなみにこのとき負かした相手は
後に重賞3勝する(2011年09月現在)ナリタクリスタル。

4ヶ月の休み明けで新潟の特別競走に挑んだスリーロールスは内田博幸を鞍上に
メイショウベルーガの5着。
中2週で挑んだ阪神の特別競走では再び浜中に手綱が戻り
2着に4馬身差をつけ完勝した。

そして、相棒のスリーロールスとともに浜中は菊花賞に挑んだ。
夏場に力をつけたスリーロールスだったが人気は8番人気。
人気の中心はやはりダービー組だった。

『1番人気より1着を。』

菊花賞の枠順は1枠1番。
枠順同様、結果も1着でありたいところ。
レースでは、抜群のスタートを切った。
逃げたのは1番人気のリーチザクラウンと2番人気のアントニオバローズ。
浜中とスリーロールスは、出たなりで進め逃げた2頭を見る形で3番手追走。
リーチザクラウンは大逃げを打ち
2番手集団に10馬身以上の差をつけていた。
しかし4角に入るころにはその差も除々に縮まり1つの集団へ。
2番手につけていたアントニオバローズが後退していくなか
内をついて伸びてくるスリーロールス。
そして・・・



「スリーロールス!内からスリーロールス!
またまたダンスインザダークか!
スリーロールス!ちょっと外へきれた!ちょっと外へきれた!
大外からセイウンワンダー!セイウンワンダー!
真ん中フォゲッタブル・・・
スリーロールス!」



最後の直線、抜け出してから外によれたものの
無事1着でゴールイン。
ゴールの直後浜中は、左手の薬指にキスをした後
観客席に向けて高々と人指し指を突き上げ喜びを表現した。


実は浜中は7月20日に籍を入れていた。
きっと観客席には、愛する奥さんを招待してたのだろう。

憎い男だ(笑)
イケメンめ(笑)
このやろー(笑)

晴れてG1ジョッキーの仲間入りとなった浜中俊。
勝利騎手インタビューでは
ファンへや厩舎スタッフ、オーナーに感謝の気持ちを伝え
実況の馬場鉄志アナウンサーからは
『スピーチに近いようなインタビューだった』とも言われた。


そして約1ヶ月後の11月22日。
浜中に嬉しい知らせが。


+..+゜長女誕生゜+..+


名前は「みゆ」ちゃん。

通産100勝達成。
7月に入籍。
10月にG1勝ち。
11月に長女が誕生。
この年は、浜中にとって最高の1年になった。
ただ、有馬記念を除いては。。。



2009年12月27年有馬記念

浜中は相棒スリーロールスとともに有馬記念に参戦した。
6番人気。
1番人気はこの年の牝馬二冠馬ブエナビスタ。
グランプリ春秋連覇を狙うドリームジャーニー。
中山専用機…
あ、言い方悪いね。
中山の鬼でこのレースがラストランとなるマツリダゴッホ。
菊花賞2着、前走ステイヤーズSを快勝したフォゲッタブル。
名手・武豊が騎乗するから人気がついたリーチザクラウン。
この5頭に次ぐ6番人気だった。

いつものように好スタートを切ったスリーロールスと浜中。
リーチザクラウンが逃げ、前半1000m58.6と早いペースで流れていくなか
浜中は馬群の中団につけた。
淡々とレースが流れていってたが
2週目の3コーナーの手前で悲劇が起きてしまった。

≪左前浅屈腱不全断裂≫

故障を発生し競争中止。
現役続行の可能性を模索するも、2010年1月3日。
再検査の結果、競争能力喪失と判断され現役引退、種牡馬入りした。

このレース
浜中が競争を中止しなかったら…
浜中が途中で故障に気付かなかったら…
最悪の場合、スリーロールスは予後不良で安楽死処分になっていたのかも知れない。

クラシック初勝利、G1勝利の喜びをともに分かち合った相棒だからこそ
約1年間ともに歩んできた愛馬だからこそ…
その浜中俊だから…
愛馬の異変にいち早く気づいてあげれたのかな。


そして2010年。
4月の大阪杯
テイエムアンコールに騎乗した浜中は
先行集団から早めに抜け出し
グランプリホースのドリームジャーニー以下の追撃を抑えてG2初勝利。
この年の重賞は、大阪杯と小倉2歳Sだけだったが
コンスタントに勝利を積み重ね、69勝をマークした。


2011年
1月9日のシンザン記念。
レッドデイヴィスに乗り替わりで騎乗した浜中は
後のダービー馬オルフェーヴル
後の桜花賞馬マルセリーナの追撃をかわし、見事1着。
2011年は最高のスタートを切った。
さらに1月30日の京都牝馬S。
アパパネを破った前年のチューリップ賞以来勝ち星に恵まれていなかったショウリュウムーンを勝利に導きこの年重賞2勝目。
1ヶ月に2つの重賞制覇は浜中にとって初めての出来ごとだった。


そして同年2月。
恩師、坂口正大調教師が定年のため2月28日で引退する。

これも運命だったのか…
坂口正大調教師の最後の管理馬の出走となったピサノプレミアム。
そのピサノプレミアムの背中には浜中の姿があった。

坂口正大調教師の引退に伴い、フリーの騎手として出発を決めた浜中。
『坂口先生のためにも、なんとしてでも勝ちたかった。勝ててよかったです。』
坂口師の最後の弟子であり、孝行息子浜中が作った有終の美。
レースを終えて引き上げてくる浜中と
その浜中を待つ坂口師の目には涙があふれていた。。。


2011年3月。
フリー騎手として再出発した浜中。
3月28日の毎日杯では
シンザン記念で手綱を取ったレッドデイヴィスに騎乗。
良血トーセンレーヴ・コティリオン以下を抑え
フリーの騎手としては初重賞制覇をした。

そして5月の京都新聞杯。
浜中には2頭のお手馬がいた。
シンザン記念・毎日杯と重賞連勝したレッドデイヴィス。
未勝利戦からOP戦のムーニーバレーRC賞連勝のクレスコグランド。
浜中はレッドデイヴィスに騎乗し
クレスコグランドには武豊が騎乗した。

このレース、勝ったのは武豊騎乗のクレスコグランド。
浜中騎乗のレッドデイヴィスは伸びを欠き10着と大敗。
レース後、右第1指骨を剥離骨折が判明した。


↑ちなみにこのレース。
私、3連単の2頭軸マルチで
10万馬券Getしました(^ω^)
軸はクレスコグランドとユニバーサルバンク。
どうでもいい話ですね、ごめんなさい(´・ω・`)


そしてクレスコグランドの手綱は浜中に戻り
日本ダービーに出走した。
若きダービージョッキー…
若きイケメンダービージョッキー誕生となるのか。。。

皐月賞馬オルフェーヴルが1番人気。
以下、サダムパテック・デボネア・ナカヤマナイトといった皐月賞組が人気の上位を占め
浜中とクレスコグランドは9番人気というのがファンの評価だった。

レースは、ドバイで魅せた男・藤田伸二騎乗のオールアズワンが逃げ
皐月賞で後方追走したノーザンリバーが2番手。
ショウナンパルフェ・トーセンレーヴと続き、
浜中とクレスコグランドは中団よりやや後方、デットーリのデボネアと同じくらいの位置を追走していた。
浜中の後ろには皐月賞で抜群の切れ味を魅せたオルフェーヴル。
切れ味ではオルフェーヴルには部が悪い…
浜中は4コーナー過ぎたあたりから仕掛けた。
しかし他の馬も仕掛け始めるため直線で窮屈になるところがあった。
人気よりは良い着順の5着。掲示板確保が精いっぱいだった。

しかし、クレスコグランドの力は証明出来た。
新たなパートナーとともに
神戸新聞杯をステップにし、浜中は胸を張って菊花賞に臨めるだろう。

ちなみに余談だが、浜中は
2007年菊花賞馬アサクサキングス。
2008年菊花賞馬オウケンブルースリ。
2009年菊花賞馬スリーロールス
と菊花賞馬への騎乗経験がある。


2011年夏競馬。
浜中はもちろん地元小倉で騎乗した。
夏の小倉リーディング、取れるか・・・

開幕週となった小倉競馬場。
7月31日小倉記念。
5番人気イタリアンレッドに騎乗した浜中俊。
イタリアンレッドの末脚を生かし
見事な大外一気の競馬。
1:57.3、レコードタイムだった。

夏の小倉競馬最終日。
小倉2歳S。
エピセアロームに騎乗した浜中。
出遅れるも完勝した。

小倉では重賞2勝し大活躍だった浜中。
しかし、リーディングにはわずか1勝届かなかった。。。



浜中俊 22歳。
妻子持ち☆
今年すでに重賞5勝。
現在63勝を挙げ、全国リーディング7位。
勝率・連帯率・複勝率全てにおいて過去最高の成績を残している
イケメン若手ジョッキーからは
これからも目が離せない。





コラム第6弾【浜中俊】

fin~。


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浜中騎手について書いてみました☆

久しぶりのコラムで
腕がおちてないか心配です><

↑前は腕があったような言い方。


読んでくれると幸いです。