小学校時代の思い出 記憶のあるうちに その3 最終回 5〜6年生 | 海のシャチは元気だよぉ

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末期前立腺癌と宣告されて11年経過、最近は癌を忘れるほど他の病に、耳は人の声が聞こえず、人工内耳を装着することに。

最近 宣伝目的の”いいね””フォロー申請”が頻発
迷惑です
不動産は息子が不動産業 
株、投資、宗教なども興味なし

記憶のあるうちに書いておこうと思い立って

これまで2回に分けて

1〜4年生までをかいた

戦争が終わって

激動の時期を過ごしてきた数年だった

 

 

今回は 小学校の最後で5年と6年の残っている記憶を書こうとしている。

 

 まぁ色々と思い出す。この記事を書こうとMacsちゃんに向かったら、頭の中に5年生の時のことがまず出てきた。平屋の校舎が校庭の南東にあって、現在は体育館になっているところだったはずだ。

 

 

 この画像は、現在の広見小学校の正門で、私が通学した頃もののは全く残っていない。左の植木の奥にあるのが体育館(だと思う)で、ここに木造の平屋建ての校舎があった。古かったかと記憶しているけど、ひょっとして戦災で焼けなかったのかな?

 

 この古い校舎の廊下を掃除をして、床を磨くのに(ある女性の先生が磨くのが好きだった)米糠を布袋に入れてそれでゴシゴシ擦ったものです。

 そうそう、この女性の先生、掃除をすることを「はしれ」と言っていた。どこかの方言かな?記憶違いなかぁ?先生がそういつと、みんな廊下を走ってたけど・・・

 

 5年と6年の2年間は、男性の先生 名前を平川清雄先生です。体育が得意な先生で、体育が苦手な私には結構きつかった。運動会でどれだけ尻を叩けれかか。

 過去4年間は女性の先生だったし、それに生まれてから長いこと女性の間で育った私には男性の先生との付き合いがなんとなくギクシャクきしていたように記憶している。多分、女性の中で育って 甘えることに慣れていた、それが許されなかったからかもしれない。

 

 5年の時は、本人はそんな気は全くなかったけれど、悪ガキ扱いで

他の数人と並んで授業の席は特熱の場所だった。しかし、ここで議会の運営の基本を体験させてもらった。(このことは高校以降に役に立ったなぁ)

 

 私は、人付き合いが苦手で1匹狼的だった。クラスのジャイアン的存在にみんなは楯突くことはなかったけど私は果敢に反発して挑戦もした。(と本人は思っている)

 

 あぁ 今思い出したぞ

 先生は体育と理科系がお得意だった。理科の時間は好きだったなぁ

色々実験をしてくださったし、それにテープレコーダーにも初めて接し自分の声を聞いて思っている自分の声と違って違和感を覚えたことを記憶している。

 

 あぁ 実験から芋蔓式に出てきた。

 カエルの解剖をしたんだ。腹を切り開いたが、そのカエルは貼り付けのまま翌日まで生きていて心臓がピクピク動いていた、朝それを見て驚いたものだ。うまいこと解剖したらしいが、今思うと残酷だったなぁと思う。

 

 6年生になって、初めて2階建ての2階に教室が変わった。この教室の窓は東向きで、近くを通る東海道線の列車をボケーと見ていたり、反対側の廊下の窓からは伊吹山が見えていた。毎日伊吹山を見ながら・・・(伊吹山って遠いんだけどなぁ)(冬の伊吹山は冠雪して綺麗だったよ)

 

 この画像は、今年3月に名古屋テレビ塔からのショット

遠くに伊吹が映ってます。今現在、母校から伊吹山を見ることできるかなぁ?

 

 

 5年6年は、よくよく先生に叱られた。叱られて記憶しかないかと思うくらいに。

 この歳になって木彫りをしているけど、当時も工作が苦手で、作品を母親が気に入らず、「恥ずかしいからだすな」というので出さなかったら、先生に「親の言うことが大事なら学校に来るな」と、かなりきついお叱りを受けた。それが今に影響しているのかもなぁ。

 めちゃくちゃ悔しかったたもん。

 

 この先生には、私学中学進学に関してかなりお世話になった。(と思っている)進学を目指す友人たちは、それぞれ競い合って勉強していたようだが、私は蚊帳の外だったのでなんの知識もなく一人での勉強していた。(受験にはそれなりの方法があるらしいが)そんな状態を陰で支援してもあったのかと思っている。(本当はみんなに公平だったかと思うけど)

 

 今思うと友人たちの進学の勉強の会話の記憶では、なんだか無駄なことをしていたんではないかって思う。みんな古文なんかの知識も持っていたもんなぁ。私はそんな知識全くなく受験したけど、なぜか合格したぞ。

 

 友人たちには、悪ガキの印象のまま卒業してしまったらしい。でもなぁ6年の最後の方で、体力的に悪ガキだったやつに喧嘩をふっかけられて、真っ向から相手になった。相手に足蹴にされたところでその足を捕まえて反対の足を払ったら相手はひっくりえって大泣きして逃げていってしまった。それ以降、他のも含め悪ガキから攻撃されることはなかったけど、こっちが悪ガキの印象になったのかもなぁ。

 

 まぁ、子供の頃から天邪鬼で、人の言うことをそのまま受け取るなんてないとんでもないガキだったので、どうしても同級生の間では浮いてしまっていた。いつも一人で本を読んでいたから考えることも

かなり違っていたらしい。(今はもっと違っているかもしれない)

 

 それでも野球はやってたみたいだ。運動音痴だからエラーはするし走るのも遅いし、レギュラーなんて夢のp夢だったけど、それでも投げることは野球部の連中よりもうんと遠くに投げて彼らをびっくりさせた。

 肩が強かった理由はあるが、それは書くとまた物議を顔しだすので書かないことにする。

 

 また

 色々芋蔓式に出てくるかから

 この辺りで止めないと

 延々と書くことになるので

 この辺りで

 

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「記憶」につて

別に記事を書こうかと思ってます

今日は木彫りを休みます

歯医者に行くだけの予定です

なので

私の記憶に関して書いておこうかと