2010年10月 休日は高速道路を1000円でどこまでもはしることができる制度があった。それを利用して、なんと無謀な800キロ先の中尊寺を目指して一人ドラブ旅行をした。その旅行記の11回目。この先、、ドライブではなく、中尊寺拝観から、毛越寺など拝観など平泉の中を観光する記事が続きます。<
元のブログのリメイクで、今回は元のブログの17回目を再編集したもの。
平泉・中尊寺その2
多少薄くなった霧の中の杉木立の参道を登っていく。気持ちはいいねぇ。でもこの杉木立は、極度の杉花粉アレルギーの私は春にはこれないのだ。この時期に来てよかったのだろうと思うよ。
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霧の中なので、紅葉云々なんて思いのほか。それに杉木立では紅葉も望めないし、なんて思いながらゆっくり登っていく。少し上がったところに最初の(最初に寄ってみたくなった)祠『弁慶堂』と書かれている。参道から左に少し外れて上がった。
確か、参道の入り口に近くにも『弁慶の墓』と書かれたものがあったが、ここで弁慶は立ち往生したというのか?あれは衣川の合戦だろ?ここではないだろうが、後々供養のために建てたのだろう。由緒書を読むとどうにも江戸時代に再建されたもののようで、最初はいつ作られたかは分からない。なんでも義経と弁慶の像があると書かれているが扉が開いてないからわかないよねぇ。。。。
確か、参道の入り口に近くにも『弁慶の墓』と書かれたものがあったが、ここで弁慶は立ち往生したというのか?あれは衣川の合戦だろ?ここではないだろうが、後々供養のために建てたのだろう。由緒書を読むとどうにも江戸時代に再建されたもののようで、最初はいつ作られたかは分からない。なんでも義経と弁慶の像があると書かれているが扉が開いてないからわかないよねぇ。。。。
**この中尊寺も衣川の戦いの一部のようだけど、衣川館は奥州市という話が**
このお堂の前ではもう数人の人が右往左往。人のいない写真を撮りたいけど、ここでは無理だった。 (なんとか撮れているものもあるけどなぁ、いまいち)
この弁慶堂の横に地蔵さんやら雷神塔なんてのがあるけど、何のことやらわからない。それにどれが地蔵さんなの?
弁慶堂から参道本筋に戻って暗いくらいの杉木立の中をまた昇っていく。本当に歩くことをしてきてよかったと思うし、この先何年か経ってから来る気になっても登って行けるかやぁなんて思う。(観光バスで来ると、この参道=月見坂を上ることはないかもしれない。観光バスの駐車場はもっともっと上で、金色堂に近いところだから。でも、この月見坂は歩いて登りましょう。それなりの雰囲気はあるから)
暗いところを上ると左に参拝できない何かがある。なんだろう??
その反対側に「地蔵堂」があるが扉は閉まったまま、前の売店も閉まったまま、まだ中尊寺は目覚めていないようだ。
そして地蔵堂を少し上ったところで右に下りる道、そこに「あまざけ」の看板が。さむい時期で、開いていれば飲みたいけどねぇ。まだ店開いてない。
また少し上がると反対側にまた扉の閉まったままのお堂が。その前ののぼりには「瑠璃光如来」と書かれている。しかし、お堂には『薬師堂』とある。『薬師如来』を「瑠璃光如来」という?
ここでネット検索。「瑠璃光如来」で検索してみると、『薬師如来の別な呼び名とある。これは知らなかったなぁ。『阿弥陀如来』を『無量寿光如来』などというのと同じなのだろう。
(大恥ですねぇ。。。 2019年の今はちゃんとお勉強してます)
ここでちょっとだけ黄色い色の葉を見つけたぞ。
また少し上がると右に脇道。そこには「奥の細道展」なんて高札が。今だけやっている展示会ではなさそう。いつもいつもやってんだろうなぁ。正直申して、私は俳句はやらないし。、短歌もやらないからこういうのは本当に興味ないんだよなぁ。
ただ、今までで芭蕉の関係で写真を撮ったことがあるのは、上越市の直江津海岸にある金刀比羅神社の中の芭蕉の句碑くらいかなぁ。
この高札を無視してさらに月見坂を上る。
この高札を無視してさらに月見坂を上る。