全く眠れないので、家の近くの川(中川)に一週間ぶりに行ってきました。
結果余計眠れなくなったので、想いをつづらせていただこうかと思います。
※以下敬語省略します。
mono-tourフリーペーパー「穴があくほど。」の原稿が昨日で校了。
正確にいえばまだ残っているみたいだけれど、自分に出来るところは終わったみたい。あとは初台に残る編集のみなさんとデザイナーさんがやって下さるということで。
そんなこんなで昨日から今日にかけては【FP完成記念打ち上げ!】で渋谷区初台のデザイナーさんの家で飲み会♪
本当にmono-tourのみんなは最高のメンバーで、一緒にいてとってもとっても楽しかったけど、楽しかった分今こうして一人で家にいることが泣きたいくらい辛い。
mono-tourから帰京した時は「これからFPも報告会もあるしまだまだみんな一緒だ!」って思えたから辛くなくて
報告会が終わった時も「まだFPあるし集まれるよね!」って思えたから大丈夫だったけど
FPの作業が終わってしまったらもうなにも自分への安定剤はなくて、
残されたものは夏休み前の日常とmono-tour、mono-tourメンバーへの想い。
そんなことを飲みながらしみじみ思っていた時にある就活を控えた女の子から言われた言葉にはっとした。
「確かに居心地のいい集団の中にいることは楽だけど、ずっとその中にいるのも違うと思う。だからあたしは、この先違う形でみんなが活動するかもしれないけど、参加するのは今日で最後にするつもりで今日は来たんだ。」
ううん、もちろんそれは、頭の中のどこかではわかっていること。
たとえば、高校卒業前夜に願ったままに、もう一年高校生活を送っていたら今の4年生には会えなかったわけだし、18才の感性で、今のmono-tourのみんなと接することはできなかった。それは自分にとってかけがえのない財産になった。
それでも卒業式の日の夜は「ずっと高校時代が続いていたらよかったのに、どうして・・」って思いっきり泣いた。
だけれど今は、卒業して良かったんだと思えている。
変わることがそういうことなのならば、
辛いのは今だけかな。数カ月もすれば、mono-tourにちゃんと「思い出」として接することが出来るかな。
経験からはそうも思えるけど。それでも彼女の言葉は昨日の僕にはちゃんと咀嚼できなかった。
しるしに、自分が返した「理解」はどこか間違っているぞ、と思っているだろう彼女の表情を僕は感じた。
くやしい。
感性の違い?たぶんそうじゃない。
大学で過ごす2年、3年。
先輩たちがきちんと自分と向き合って、きちんと先を見ようとして、“自分のために”過ごす大学での日々。それは、いくら僕がやる気とか能力の点で精いっぱい背伸びしても越えられないものを築いているように感じた。
自分はそんな日々を過ごせるのかな。
そんな日々を過ごしている人たちとまた会えるかな。また一緒になにかできるかな。
またすぐに会いたいな、と思う自分と、それでちゃんと“次”が見えるのかな、見なきゃいけないな、と思う自分。
時間という“流れ”の中に、生きているということを本当に実感した。
今は別れの寂しさと自分のこれからの日々への不安で押しつぶされそう。実際この日記も半分ぐらい泣きながら書いちゃったしね。キーボードがデロデロだよちきしょー。ちょっと病みそうだな。
けれど、少し休んだら、ちゃんと次に向けて動き出したい。
でもやっぱり大好きだよ。願わくば、僕の成長を見ていて下さいね。
本当にこれからも仲良くしてね。ときどきは飲みに行こうね。
ありがとう。 ありがとうございます。