もののケのしおり~ちょっと新しい感じ方~-子育てと人間と数






【光と闇のマカバ④!


光と闇のマカバ①!
光と闇のマカバ②!
光と闇のマカバ③!



●ルール(構造と所有)
父・母・息子・娘らしさと役割の交換で目に見えない、らしさの法律:マカバ

●数える(平等と正しさ)
1から始まる数、体を部品として、人数として感じ始める考え方
:競争

●子育て(名づけと見られ方)
自分を必要とさせるために育てることで、気をひくために見られあう名前:嫉妬


<△の真ん中は人間の世界の全ての意識の働き>





子育てと人間の関係】

子育て人間=字
子育て人間怒る




(子育ての概念と人間の関係は、
言いなりにならないなら脅して捨てて、わざと拾ってなぐさめる生活)

子育ての概念は、
人間に言葉を作れる(教えれる)、楽しさによって、
もっと数える概念が手伝ってくれれば、
もっと楽しくなるだろうと思い、平面の世界(音符と文字と言葉)を作って、
うまく自分の言いなりに出来た子育ての考え方が世界だと思って、
皆同じ考え方の人だらけの優しさの平和の楽園とする。

そして、平面にならない音を平面の音にしようとして、
平面世界を組み合わせて出来た文字と言葉の円を作る子育てになろうとします。



自分の声(声門)は自分しか居なくて、比べる事が出来ないので、
音符にして子育て競争する事で、何個でもあるような平面世界と感じ、
音符が声や体を作ってると感じてしまい、
音を言葉にしても、音符にしても、字にしても、
音の意味(「あー」という音は「アー」という音もある)がわからなくなる。



(子育ての概念と数の関係は、
言いなりにならないなら脅して学校へ連れて行って、わざと楽しくしてる生活)

子育ての概念は、
人間を怒る(いじめる)、楽しさによって、
もっと人間が怒られる人になってくれれば、
もっと楽しくなるだろうと思い、おどしの世界(いじめと捨てると怒る)を作って、
うまく自分の言いなりに出来た子育ての考え方が世界だと思って、
説教の回数といじめる人だけが居る平和の楽園とする。

そして、慰めにならない怒るを慰めの怒るにしようとして、
怒る世界を組み合わせて出来た慰めとおどしの円を作る子育てになろうとします。



自分の感じ方(存在)は自分しか居なくて、比べる事は出来ないので、
たくさんの人数を集めて共通に怒ってまとめても、
自分の感じ方は自分でしか確認したり、わからないから、
初めからすべて独り言なので、楽しくなっても数という考え方は共有できない。




人間子育て=占い
人間子育て点数




(人間と子育ての概念の関係は、
言いなりにならないなら脅して光の下へ連れて行って、わざと美しくしてるフリ)

人間は子育てにおいて、
自分の子供に対して困る事が起きないようにして欲しいから、
でも、自分の子供が良くなるように生まれていると思いたいので、
(子供の評判が悪いように思われたら、
自分の選んだ良い事の確率(数)が悪いと思われる事になるので)
社会のルールに、
自分の子供や自分の子供の時の頭(脳)が100点になるかの確率と、
社会や異性からの見え方の美しさの数が正しいかどうかを判断して見てもらう。

それが占い。
占いの生活、場所、占いの正確さの夢を求めて、
新しい確率(数)にどうしたらいいかを見てもらうために移動する。



脳が考えている場所だと思ってしまい、
鳥は鳥自身が、異性と一体になるために、
鳥かごの構造はよく出来ていると思いたいので、
自分が美しくて、良い鳥のように振舞うことで、
自分がひそかに人気になって売れるかどうかだけの恨みになってしまう。




(人間と数の概念の関係は、取り合いしないように数を数えて分ける)


人間は数において、
自分に対して困る事が起きないようにして欲しいから、
でも、自分の子供が良くなるように生まれていると思いたいので、
(子供の評判が悪いように思われたら 、
自分の納得して思ったもの(子育て)が悪いと思われる事になるので)
社会のつながり(人数)に、自分の感じ方が正しいかどうかを子育てに判断して見てもらう。

それが点数。
給料、値段、家賃など、
100点の生活、場所、100点の夢を求めて、
新しいつながり(数)にどうしたらいいかを見てもらうために移動する。



脳が頑張ってると思ってしまい(脳自体は頑張るものではない)、
100点をとっても、自分の悪さ自体は変わらないので、
100点を意識して目指したり、喜んだ時点で、
誰かに100点を証明してもらわないといけないので、
100点の凄いと思う自分と0点の嫌な隠したい自分が分裂して、
同時に存在する事(光と闇)を忘れてしまう。




人間子育て計算
子育て人間=自信




(数の概念と人間の関係は、みんなで仲良し喧嘩と兄弟姉妹)

数の概念の情けなさによって、
数は一人だけでは役に立たないと思い、
相談相手(子育ての概念)や、応援してくれる人間を作ろうとする。

数(体が年齢と考える)同士を比べ、
どちらが先か後かの兄と弟(前と後)に分裂したと感じる、
体に時計の数字の感じ方が始まると、
兄弟・姉妹の喧嘩と嫉妬が始まるので、
その時、子育ての概念によって、
喧嘩してバラバラになっている商品の値段を計算して、
合計してくれる人をレジの店員(あやす、なぐさめる)とする。

そして、
体の年齢を数えることから、
お互いあやされ、なぐされめられて、
納得した合計金額が自分の価値だと認められたら、
人間関係の約束と絆の数を数える世界を作る数になろうとします。



体の年齢を数えても、
時計の数字によって体の外から体を数えているので、
どっちが先で後か、どっちが凄いかはずっと証明できず、
それを証明したいと考えている限り、起きる喧嘩と嫉妬は、
時計が回り体が消えるまでずっと続く。




(数の概念と子育ての概念の関係は、
100点とってくれるなら拾って褒めて、30点なら自慢できる自分の子じゃないと脅す生活)

数の概念は、
人間と人間の関係(見ると見られる、褒めると褒められる)を作れる楽しさによって、
もっと教える概念(子育ての概念)が、
数の概念に協力して手伝ってくれれば、
もっと楽しくなるだろうと思い、勇気の世界(やる気と育児)を作ろうとする。

うまく自分の言いなりに出来た子供と一緒に、
人間の考え方や感じ方が世界の表れだと思ってしまうと、
皆同じ考え方の人だらけの優しさの平和の楽園とする。

そして、慰めても勇気にならない自信を、慰めたら勇気になる自信にしようとして、
頑張り世界を組み合わせて出来た自信と言葉の5円玉を作る数になろうとします。



いろんな事で自信をつけたように感じても、
自分では永遠にその自信自体を確認できない(世界には自分しか居ない)ので、
さらに「みんなで、みんなで」と言っても、他人と自分が一体になれるのではなく、
逆に、どんどん自分が誰かわからなくなる。