第2展示室から順路に沿って次の作品の前にやってきました。
日本に於いてロボットが生まれたのはいつからでしょう。
そういう視点から取り上げられるのが、西行法師が高野山で作ったと謂れる人造人間のお話です。
[冨山房名著文庫「撰集抄」芳賀矢一校訂-物怪図書館蔵]
生み出された人のようなものは、血色が悪く、魂も入っていなかった為、そのまま山中に置き去りにして来たそうです。
師仲の作った人造人間は、人間社会に適合し、中には大臣にまで出世したものもあったと謂います。
ということは人間によって生み出された人造人間が、人として暮らしていたということになりますね。
ここら辺、チェコのゴーレムのお話なんかと似ています。
[中村産業とおめいばけボーグ「カッパキング」-資料提供・日本物怪観光]
1950年にアシモフがロボット工学三原則を発表するよりも遡ること22年、映画メトロポリスが公開された翌年にあたる1928年(昭和3年)に、東洋で初めてのロボットが日本で制作されました。
1950年にアシモフがロボット工学三原則を発表するよりも遡ること22年、映画メトロポリスが公開された翌年にあたる1928年(昭和3年)に、東洋で初めてのロボットが日本で制作されました。
その名も學天則(天則に学ぶの意)です。
制作したのは生物学者の西村真琴教授。
俳優西村晃の父親です。
昭和天皇即位を記念して大阪で開催された大札記念京都博覧会に出品され、大変話題になりました。
このロボットは机に座った状態で、動くのは上半身の手と首、顔のみでしたが、高さ3.5メートルと巨大でした。
告暁鳥という円形の屋根に取り付けられた巨大な鳥が泣くと、左手に持った霊感灯が光り、瞑想していた瞳が開きます。
次に天を仰いで微笑み、右手に持った鏑矢のペンで文字を書き始めます。
すると表情は一転、創造の苦しみを表すかの如く、苦悶の表情を浮かべ、首を左右に振ったそうです。
歩くことこそ出来ませんでしたが、その動きは非常に神秘的でした。
制作者である西村教授は生物学者なので、その作りは西洋のそれとは大きく異なっていました。
彼の著書「大地のはらわた」には、學天則について詳しく記されています。
このロボットの原動力は空気。血管のようにはりめぐらされたゴム管に空気を送り込むことで、胴体、腕、指、頸部、顔面諸筋、眼球を動かしました。
オルゴールのようにドラムを回転させ、圧を調整した空気を送り込む機能は、肉感的で円滑な動作を可能にし、且つうるさい機械音を伴わないとされています。
故に顔などの可動部分にはラバーが使われ、目を閉じたり、笑顔になったりと表情が変えられたそうです。
その容姿や装飾にも、教授の哲学的な思想がふんだんに盛り込まれており、一度見たら忘れられない強烈なインパクトがあります。
この個性的な東洋初のロボットに注目し、自身の作品に登場させたのが荒俣宏でした。
[角川書店「虚実妖怪百物語・急」とこの本に対してのインタビューが掲載された「本の旅人No.253(2016.11)」-物怪図書館蔵]
[角川書店「本の旅人No.253(2016.11)」より。-物怪図書館蔵]
[角川書店「本の旅人No.253(2016.11)」より。-物怪図書館蔵]
この本の発売を記念して行われたキャラクター人気投票では、人間以外のキャラクターで堂々1位を獲得したのでした。
今年12月22日に発売されたこの小説の文庫版では、表紙写真用に、天野行雄(日本物怪観光)が立体で學天則を制作しました。
次のフロアでは、特別展示室として、この日本物怪観光版・學天則をご紹介致します。