4月1日らしく、気の利いた嘘話でも書きたかったのですが、元号のバカ騒ぎを斬ることにします。
元号、本当に不便で面倒ですね。
「昭和59年生まれの人は何歳でしょうか。」
「1970年に大阪で万博が開催されました、昭和何年でしょうか。」
「私の祖母は大変長生きでした。大正12年の生まれで平成25年に亡くなりました。何歳で亡くなったでしょうか。」
もはやクイズです。
計算式を用意すると、多少は答えやすくなる。
昭和に25を足せば西暦、西暦から25を引けば昭和。
平成元年は昭和64年、平成に63を足せば昭和。
平成に88を足せば西暦、西暦から88を引けば平成(1999年まで)。
西暦に12を足せば平成、平成から12を引けば西暦(2000年から)。
上の計算式、二桁の数字を隠しておいて、道行く人を呼び止めて記入してもらうとして、正しい数字を解答できる人、何%いるでしょうか。
これに大正だ、明治だとなると、さらにわけわからぬ。
「平成に63を足して昭和」など必要ないではないか、という反論をする人もいるでしょう。いえいえ、免許や資格の有効期限、昭和の末期に取得したものは「昭和〇〇年」と記載されているので、平成に換算する必要がありました。
新元号になっても同じです。まだマシなのは「平成31年」と「新元号元年」が同じ、つまり末尾の数字が同じということです。
手元の運転免許証の有効期限が平成35年なら、新元号の5年まで有効ということになる。
元号は日本の文化なのでなくすべきでないという反論もあるだろう。しかし、あまりに不便。なぜ元号が使われるかというと、役所に提出する書類などが元号での表記を義務付けられるからだ。これを改め、基本は西暦で一応元号も残すという程度でよくはないか。
現在の元号は天皇制と一体となったものだから、民主主義にはそぐわないという意見も以前はあった。
これは西暦も同じ。西暦というが、紀元をキリストの生誕としている「キリスト教歴」であり、キリスト教信者でない者がなぜ使うのかという疑問がないことはない。
しかしながら、世界の標準は西暦であり、その普遍性から使用するのが妥当であり、元号よりも利便性が高いと言える。
こういった議論をすっぽかし、次の元号は何だなんだと予想ゴッコに興じる大手マスゴミは、実に程度が低いと言える。
追伸:新元号は「令和」だそうです。
アルファベットで略す場合、LになるのかRになるのか?