相撲の話題はテレビでさんざんやっているので、このブログでは取り上げるつもりはなかった。
しかし、あまりに世の中バカばっかりなので、ついに取り上げます。
相撲はスポーツではあるが、やや特異ではある。
世界中のスポーツで、同じ髪型(髷)を強制するスポーツがあるか。
素っ裸にマワシ一丁だが、下にスパッツを穿いてはダメなのか。スパッツを穿くことで、何か競技に有利不利が生じるのか。
神事の宗教性というか、特異性を帯びた競技ではある。
この競技では横綱が最高峰の地位とされ、横綱には品格とやらが求められる。「横綱相撲」や「胸を貸す」という言葉もある。
横綱相撲とは、相手力士からのぶつかりを余裕で受け、逆に押し返すなり、投げで転がすというぐらいは誰でもイメージできる。
これは美学ではあるが、誰でもその美学を守るとは限らない。
勝負に手段は選ばない、反則でなければいい。歴史を重ねれば、こういう横綱が出現することもあり得るだろう。
それならルールを改めればいい。
この映像なんぞ見れば、つくづくそう思う。
立ち合いでの張り手(相手の顔面に手を入れる)は禁止、立ち合いでのかちあげは禁止、かちあげは組んだ状態から肩から上腕部を使うこと、ヒジ打ちのかちあげも禁止。
すでに土俵を割った相手をさらに突いた場合、倒れた相手を攻撃した場合、勝ちは取り消し、取り直しとする。
だいたい危険すぎる。4:03からの勢、5:50からの妙義龍、完全に脳震盪を起こして倒れている。相撲は相手を土俵の外に押し出すか、土俵に転がすかの勝負だろ(稀には張り手で倒れることもあったが)。ヒジ打ち脳震盪とは、いったいどんな格闘技なのか。
相撲協会の評議員なら、そういう議論をすべきなのだが、このバアさん、まったくの役立たずだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180111-00000010-jct-soci&p=1
『池坊氏の見解が報じられたのは週刊文春2018年1月10日発売号(18日号)。文春の直撃を受けた池坊氏は、白鵬の取り口について「(ルールが)ある以上は『張り手した』と、ガーガー(批判を)言わないで」と理解を求めた上で、「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」と語っている。』
狩猟民族だの農耕民族だの、相撲と何の関係があるのか。
ファンはフェアで相撲らしい相撲の勝負を観たいだけだ。
何様のつもりかは知らぬが、家元制のおかげで地位を約束され、何の努力もしなくても有名になれた。
こんなババアはいらない。