高市は1987年の12月から1989年の3月まで、コングレッショナル・フェロー(CF)として、パトリシア・シュローダー下院議員の事務所に在籍していたとしている。
そして主な仕事として、シュローダー議員の議員立法やスピーチのための調査、中小企業に関する米国の施策、金利と住宅に関する政策、為替・関税・コスト等の分析に基づく米国の貿易政策、防衛に関する同盟国との負担の共有、発展途上国における女性問題などに関する調査に従事していたとしている。
高市がCFをしていた1980年代後半は、まさに日米貿易摩擦が激しかった時代である。
日本とアメリカは友好国だの同盟国だのともいうが、経済面では利害の対立が激しいこともあった。
この時代、日本は多額の対米貿易黒字を生み出し、逆にアメリカ側は、日本の市場が閉鎖的である、米国製品を売りたくても売れないと非難を強めていた。
対米貿易で莫大な黒字を拡大し続ける日本は好況に湧き、60年台から対日赤字を続けるアメリカは不況に沈み、米国の自動車メーカーは70年代終わりから80年代にかけて壊滅的な打撃を受ける。大規模な反日キャンペーンが方々で開催され、中には、日章旗を燃やしたり、日本製乗用車をハンマーで叩き潰すといった過激なパフォーマンスが行われた。
米国議会はこのようなジャパンバッシングの流行の中で、輸入関税の大幅引き上げを武器としたスーパー301条を可決して日本に市場開放を迫った。1988年のことである。
このスーパー301条とは、1974年に成立した第301条(貿易相手国の不公正な取引慣行に対して当該国と協議することを義務づけ、問題が解決しない場合の制裁について定めた条項)の強化版である。これにより、日本側は牛肉や柑橘類の関税縮小を余儀なくされた。
高市さん、「米国の貿易政策」の立法調査に協力したんですよね。
時期からして、このスーパー301条成立に貢献したんですよね。
おかげで日本は牛肉、オレンジの輸入制限が解除されたわけです。コメも輸入されるようになりました。
明らかに日本と利害が対立する問題において、アメリカ側に利するよう職責を全うしたわけですか?
そんな者が日本に帰国して国会議員になるのか。
「いいえ、コングレッショナル・フェローとはただの見習い、研修生です。米国の議会制度を学ぶ立場にある者であって、立法に関与、貢献できるほどの権限はありません。」と言った方がよくはないか。
それにしても、愛国者諸氏が米議会立法調査官だったという高市をバッシングしないのは不思議です。
「売国高市は国会議員をヤメロー!!」、「売国高市は日本から出ていけー!!」