国立国会図書館 調査及び立法考査局外交防衛課では、昨年9月に「従軍慰安婦問題の経緯」を報告書形式で発表しています。著者名は山本健太郎となっていますが、所属部署からして、日本政府の公式見解といっていいでしょう。
 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8301279_po_075204.pdf?contentNo=1

 この報告書によれば、「慰安婦問題が浮上するのは1990年以降である」とされ、「慰安婦問題に関する主な動き」としてまとめられた年表も1990年から始まっています。
 要するに、従軍慰安婦問題がクローズアップされるようになったのは1990年以降、元慰安婦が名乗り出たり、朝日新聞が記事にしたり、日韓政府間で話し合いになったり、などの経緯があって1993年の河野談話発表につながるわけです。

 ところで、これらの騒動が始まるよりもはるか以前、「受験慰安婦」というポルノ映画が上映されています。時に1982年です。
 http://www.weblio.jp/content/受験慰安婦

 アダルトビデオが一般的になるのは1980年代後半以降、70年代から80年代前半は、ポルノ映画全盛時代でした。その時代の作品です。
 さて、なぜポルノ映画のタイトルに「慰安婦」が使われたのか。
 ポルノ映画は18歳以上の成人男性を主たるターゲットとして作成されます(高校生や中学生もこっそり見るだろうとか、女性も見るかもしれないという議論はともかくとして)。
 この時代の成人男性ならば、「慰安婦」という言葉は意味が通じたわけです。成人男性ならほぼ誰でも「慰安婦」からエッチな意味を連想し、映画にスケベ心を惹かれるであろうとタイトルに使われたわけです。
 「慰安」と言っても肩や腰をマッサージして慰安するわけではなく、悩み事を聞いてくれて心慰め安らぎを与える心理カウンセラーなどではもちろんありません。そんなことは誰でもわかっていたのです。だからポルノ映画のタイトルに使われたのです。

 さらに「受験慰安婦」というタイトルですが、「受験」のつかない「慰安婦」は誰を慰安したのか。それも、この時代の成人男性ならばほぼ誰でも知っているような話だったのです。
 当たり前です。戦死した兵士は少なくはないが、戦場から生きて帰った男も少なくはない。「戦場ではこうだった、ああだった」「軍の部隊には慰安所というのがあって・・・」
 マスコミが取り上げずとも、そんな話は男どもの間で話題にされ、語り継がれ、耳に入ってきたのです。
 みんな知っていたのです。

 もう一つ、「従軍慰安婦問題の経緯」には重要な事実が記されています。
 改めてよく見ると注意書き(3)として、「1990年代以前にも以下の図書の出版などにより慰安婦が注目されたことがあった」として、「従軍慰安婦"声なき女”八万人の告発」(1973年 著者:千田夏光)、「私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行」(1983年 著者:吉田清治)が挙げられています。
 「虚偽の証言者」として有名な吉田清治の著書発表は1983年、「受験慰安婦」はその前年の作品。吉田虚偽証言が出現する前から、慰安婦という言葉が一般的であったわけです。
 記憶は後から作られる。後から吹き込まれた情報によって、記憶は操作される。人間の記憶はけっこう当てにならないものです。

 「そもそも慰安婦などという言葉はなかった」
 「従軍慰安婦は朝日の捏造」
 「吉田が従軍慰安婦という言葉を広め、朝日が煽った」
  
 現在、保守系マスコミは狂ったようにこのような発言を連ねていますが、これらすべてウソですね。
 というわけで、本日のバカ認定は、上記ウソを信じこんでいるあなたです。