1962年、ヨット「マーメイド号」で単独太平洋横断に成功した堀江謙一氏は、次なる冒険として、ヨットでの単独無寄港世界一周にチャレンジします。
一度目のチャレンジには失敗したものの、1974年に「マーメイド3世号」で、世界で2人目の単独無寄港世界一周航海を270日余りで成功させます。
この快記録に、「あり得ない」と言いがかりをつけたのが石原慎太郎です。
「わずか270日ほどで、ヨットで世界一周が可能なわけがない。どこかの港に隠れていて、ひょっこり現れたのだろう」と堀江氏の世界一周を捏造呼ばわりしたわけです。
もちろん、何の証拠もありません。
逆に堀江氏の側にも、残念ながら世界一周を証明できる証拠がありませんでした。
当時は、現在のようなGPSもなく、堀江氏のヨットが本当に世界を一周したとするのは、堀江氏自身の証言しかありませんでした。
ところが数年後、堀江氏の世界一周が意外なところで証明されます。
(以下、多少の記憶違いがあるかもしれませんが、大筋に間違いはありません)
堀江氏は、世界一周の航海において南米大陸最南端ホーン岬の沖を航行します。
そこで地元の貨物船と遭遇します。貨物船乗組員が荒波と格闘する堀江氏とヨットを写真に撮り、帰港後に地元の新聞社に持ち込みます。
「勇敢なる日本のヨットマン、世界一周を目指して我が国沖を航海中」と記事になります。
その記事の存在が、数年後の日本で明らかになるわけです。
記事にある航海中の日付たるや、堀江氏の航海のちょうど中間、航海日誌ともピタリと符号していました。
ホーン岬は、日本からはちょうど地球の反対に当たる場所。
世界一周を目指して出航し、地球の反対側まで行ってUターンして帰ってくるバカはいない。
航海日程の中間に、地球の反対側を航行していたわけで、堀江氏の世界一周が完璧に証明されたわけです。
「疑って悪かった」、「改めて祝福したい」、「お詫びと敬意を表明する」
卑怯者の石原の口からは、そのような言葉は出ません。
この証拠をマスコミから示された石原は、「改めて記録を検証する」などという卑怯・姑息な言葉でその場を逃れました。
その記録を検証した結果がどうだったのか、堀江氏の世界一周にもはや異議は唱えないのかどうか、否定した自分の見解は間違いだったのかどうか、今に至るも明らかにされたことはない。
「海の男」、「ヨットマン」という爽やかなイメージと対極にある奴です。