金子の発言によって、いまだ北海道ではそのような差別意識が残っているのか、と改めて思わされました。
実は今年3月、呉智英を批判した文章で、アイヌ民族について書こうかと思いながら、論旨からやや外れる気がして書かずにおいた件があります。
呉の発言は、従軍慰安婦問題に関してその強制性に懐疑的な見方を示し、「(民族が違うとはいえ)同じ日本人にそのようなひどいことをするでしょうか」というものでした。
では、同じ日本人であるアイヌ民族に対してはどうなのか、と言いたくなったわけです。
狩猟採集民族であるアイヌ人にとって、秋から冬にかけての主食は鮭でした。
すなわち、秋になって川を遡上してくる鮭はその日食べる分だけを採取してその日の糧とし、産卵・体外受精を終えて川を下ってくる鮭を大量に捕獲し、干物にして越冬の糧としたわけです。
産卵・体外受精を終えた鮭の方が、脂肪が落ち、干物にしやすい。その時季なら虫が湧きにくい。何より産卵と受精を終えた後なので数が減らない。
そうやって何百年も北海道の自然と共存してきたアイヌ民族に対して、当時の明治政府が出した命令は「鮭漁の禁止」。
入植者による先住民族への弾圧・虐待・嫌がらせは洋の東西を問わず珍しいことではないが、「主食を奪う」というのは、かなり過酷な部類になるのではないだろうか。
狩猟採集民族で農耕技術を持たないアイヌ民族に対して鮭漁を禁止するということは、「死ね」と言っているのと同じ。越冬の食糧なしで、どうやって厳しい北海道の冬を過ごすのであろうか。
そんな命令を守れるわけはないと鮭漁を続けた者は逮捕される。現在のような基本的人権が守られた社会とはわけが違う。逮捕されたアイヌ人には、とんでもなく過酷な拷問が加えられる。半殺しのめに合わせ、ボロボロの体で村に帰らせ、恰好の見せしめとする。これではさすがに鮭漁をすることはできなくなる。
そして鮭に次ぐ命の糧であったエゾシカの狩猟までも禁止される。
冬の間に栄養失調で命を落としたアイヌ人はどれほどの人数になったであろうか。
金子の発言は、その時代からの延長線上あると言わざるを得ない。
「自国の歴史に誇りを」とは産経新聞のキャッチフレーズであったか。このような歴史をどのように称賛できるのか、ぜひうかがってみたいものである。
明治時代、アイヌ民族にもたらされた惨禍はこれだけではない。