このヤブ1号の耳鼻科は繁盛していた。
今にして思えば、ヤブ1号が患者の鼻腔をおどろおどろしい金属製の棒で引っ掻き回し、症状を悪化させるためではなかったか。大して悪くもない患者の症状を悪化させ、患者の拡大再生産によって儲けていたのではなかろうか。
私は痛くてたまらぬヤブ1号に通院するのをやめ、別の耳鼻科に通い出した。
ここの耳鼻科医(ヤブ2号)では、生理食塩水(だったと思われる)で鼻腔を洗浄し、薬を噴霧するという治療で、ヤブ2号に比べればややマシではあった。ただし、金属棒で引っ掻き回すのは同じ。症状を根治させるにはほど遠い治療だった。
なかなか完治しない私の症状に、業を煮やした私の父親は伝手を頼って、大学病院への紹介状を入手した。
私はついに大学病院で診療を受けることになったのである。今度こそ、この鼻を完治させてもらえるのではないかと期待した私は、逆に人生最悪のヤブ治療を受けることになるのである。