「杞憂」
《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から》心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。杞人の憂え。「―に終わる」 (デジタル大辞和泉の解説より)
日本では、文字が使われるようになって一千数百年しか経っていない。それ以前の人々は文字のない口伝だけの生活をしていた。地球が球体であると認識した最初の日本人は、一説には織田信長とされる。一般に認識されるようになったのは、2~300年前ぐらいか。
地動説が正しいと認識される前は、天動説が世の常識だった。
太陽が核融合反応により、無限に近いエネルギーを供給できるとわかったのは、さらに近い時代のこと。
人類がこれら知識を得たのは、人類の長い歴史からすればつい最近のことと言える。
文字のない時代、不吉な言い伝えもあったろう。「大昔のある時、地面が大きく揺れて海の水が一気に押し寄せ、村ごと飲み込まれてしまった」、「山が爆発し、大量の灰で村が埋め尽くされた」。これらはウソとは言い切れない。
太古の人々が、「天が崩れてきたらどうしよう」、「太陽が燃え尽きればどうすればいいのか」、「いつかこの世の終わりが来るのではないか」などと不安を覚えたのも無理からぬことかもしれない。
現代の我々だって、天変地異に対する恐れはあるわけで、文字もなく言い伝えに頼る人々の恐れ、正確な知識のない時代の人々の不安はいかようであったか。
我々の遺伝子には、その類の不安や恐れが刻まれているかもしれない。
その不安や恐れにつけ込む話の一つが「終末論」である。
「何年後のいついつ、人類は滅亡する」
「〇年〇月に、空から〇〇が落下してきて大爆発を起こし、地球は破壊される」
これらの話が流布されるのも、人類史上珍しいことではない。
(続く)
《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から》心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。杞人の憂え。「―に終わる」 (デジタル大辞和泉の解説より)
日本では、文字が使われるようになって一千数百年しか経っていない。それ以前の人々は文字のない口伝だけの生活をしていた。地球が球体であると認識した最初の日本人は、一説には織田信長とされる。一般に認識されるようになったのは、2~300年前ぐらいか。
地動説が正しいと認識される前は、天動説が世の常識だった。
太陽が核融合反応により、無限に近いエネルギーを供給できるとわかったのは、さらに近い時代のこと。
人類がこれら知識を得たのは、人類の長い歴史からすればつい最近のことと言える。
文字のない時代、不吉な言い伝えもあったろう。「大昔のある時、地面が大きく揺れて海の水が一気に押し寄せ、村ごと飲み込まれてしまった」、「山が爆発し、大量の灰で村が埋め尽くされた」。これらはウソとは言い切れない。
太古の人々が、「天が崩れてきたらどうしよう」、「太陽が燃え尽きればどうすればいいのか」、「いつかこの世の終わりが来るのではないか」などと不安を覚えたのも無理からぬことかもしれない。
現代の我々だって、天変地異に対する恐れはあるわけで、文字もなく言い伝えに頼る人々の恐れ、正確な知識のない時代の人々の不安はいかようであったか。
我々の遺伝子には、その類の不安や恐れが刻まれているかもしれない。
その不安や恐れにつけ込む話の一つが「終末論」である。
「何年後のいついつ、人類は滅亡する」
「〇年〇月に、空から〇〇が落下してきて大爆発を起こし、地球は破壊される」
これらの話が流布されるのも、人類史上珍しいことではない。
(続く)