昨日の続きです。
 ディーンさんが、どのような会話の流れの中でこの事実を認めたか不明ですが、おそらく、頭にピストルを突き付けられるという異常な状況で使ってしまった。心にもない発言だった。それ以外、普段は使わない。という意味で弁明したのだと推測されます。
 ディーンさんを弁護するわけではありませんが、頭にピストルを突き付けられるという異常な状況での発言をあまり責めるのもどうかと思えるのです。
 
 (以下、日経)
「さすがにディーンへのあまりのバッシングに疑問の声も出ている。『なぜ、彼女だけこんなにたたかれないといけないのか?』というコラムが新聞に掲載され、南部出身のジミー・カーター元大統領も『人種差別の言葉を使うことに弁解の余地は全くないが、30年前のことも告白したポーラは正直過ぎた。過度に厳しい罰ではないか』と発言している。」

 アメリカでは、同じようなカリスマ主婦で株式のインサイダー取引で実刑判決を受けたマーサ・スチュワート、不倫スキャンダルに揺れたタイガー・ウッズも人気を取り戻しつつあります。それでもディーンさんの復活は難しいようです。

「コミュニケーション関連のコンサルティング会社コーン&ウォルフの危機管理専門家、ジム・ジョセフさんが米紙に語ったところによると、ディーンの復活は他の2人と違って、条件的に厳しい。スチュワートがつまずいたのはお金、ウッズがつまずいたのは異性。ディーンの場合は人種差別だ。『企業は人種差別というレッテルだけは嫌がる』(ジョセフさん)といい、去った企業が戻ってくるとは考えにくい。」

 それにしても、なぜアメリカは差別に対してこれほどまでに厳しいのでしょうか。
 人種の多様性が人口の増大につながり、国の活力を支える。人種差別は国益(特に経済性)に反するからかとも思えるのですが、それだけでもないようです。

 「人種差別となると、米社会はきわめて敏感に反応する。ラテン系、アジア系の移民も増え、米国の人口構成も様変わりした今、人種差別はアフリカ系に対するものだけではなくなっている。また女性に対する差別、同性愛者に対する差別など、さまざまな差別が問題視されるようになった。しかし、黒人奴隷の時代以来、300年以上にわたって続いてきたアフリカ系アメリカ人への差別問題はもっとも根が深く、米国人は最もセンシティブになる。米国史に残る傷痕はなお深く、ディーンの失墜はこの問題に終わりがないことを示している。」

 この問題には終わりがないそうです。
 終わりがないどころか、問題からひたすら目を逸らしているような国とはえらい違いです。