予告の通り、アメリカにおける反差別の現実を取り上げます。

 カリスマ料理研究家として知られ、レストラン経営や料理本の出版、料理番組の出演に引っ張りダコだったポーラ・ディーン。
 過去の差別発言が明らかになったため、たちまちにして苦境に陥ってしまいました。
 
 以下、「  」内は、日経記事(2013.8/5)からの引用です。
 
 ディーンが成功のきっかけをつかんだのは、「1989年に始めたケータリングサービス。つまりお弁当屋さんだ。(愛情入りのランチボックス)をテーマに売り出したところ、あれよあれよという間に事業が拡大。
 最初は息子2人が注文の品を配達するという家族経営だったが、91年にはレストラン事業に進出するまでになった。
 料理本を出版、自分の名を冠したテレビ番組が始まり、小売大手とタイアップした“ディーンブランド”のデザートや総菜、調味料、キッチン用品などが発売される。言葉は悪いが、田舎のオバチャンが食うに困って始めた弁当屋が、食の“一大帝国”に発展したのだ。」

 ところが、「ディーンは自身が経営するレストランの元従業員から人種的、性的差別発言で苦痛を受けたと訴えられていた。」
 その釈明のためのテレビ番組出演において、「ディーンは致命的なミスを犯してしまう。番組中、ディーンは問わず語りに『30年前、銀行強盗に遭ったことがある』と話し始めた。1986、87年ごろのこと、勤めていた銀行に黒人の強盗が押し入った。ディーンは銃を頭に突きつけられたという。『その時、私は“N・・・・(黒人への蔑称)”という言葉を使ってしまったのです』

 N・・・・は黒人同士で用いることもあるが、白人が言うと非常にまずいとされる。

 その後、「テレビの「フードネットワーク」でディーンが持っていた2つのレギュラー番組の契約は終了。「ポーラのプリン」といった名前を冠した食品や料理を販売していた大手スーパーのウォルマートや、シアーズ、コンビニエンスストアのKマートなどの契約も次々と打ち切られ、料理本の出版も中止。ディーンの手元に残ったのは直接経営するレストラン、料理グッズの販売事業だけだ。」

 くれぐれも言いますが、ディーンは30年近くも前に使った言葉を正直に話しただけ、その一言だけで周囲からあらゆる企業が離れていき、消えていくわけです。
 日本で例えるなら、暴力団と関わったか、よほどの重罪を犯したかのようなものです。
 一方、日本では・・・・。
 この違いはいったい何なのかと思えてしまいます。

(お断り:「N・・・・」は、日経記事では蔑称そのままの表現でしたが、たとえ引用でも言葉を出すのは不適切との指摘をいただいたので、表現を改めております。)