今日はバカ認定はお休みします。先日の記事を書いて、つくづく思い至ったことを綴ります。


 「新聞は社会の公器であり、木鐸である」とは、よく言われることです。そしてこれはジャーナリズム全体に当てはまることです。

 前回記事では、月刊「WiLL」を槍玉に上げましたが、他にも似たような雑誌はあります。産経新聞社の「正論」、PHPの「Voice」・・・。

 PHPは、松下幸之助の「人類のよりよき未来のために、英知の結集を」という願いのもとに展開されているそうですが、実態はその正反対としかいいようがありません。


 中国や韓国を目の敵にすれば、雑誌は売れる。悪口書けば買ってくれるバカがいる。売ってて嫌にならないのが不思議です。


 中韓の悪口よりも、現在の日本が直面する危機、日本が抱える難題、読者が興味をそそられるテーマ、いくらでもあるでしょう。


 ・膨張する一方の財政赤字、これをどうする。対策はあるのか、このまま放置すれば一体どうなるのか。

 ・これも止まらない少子高齢化。これも対策はあるのか。

 ・原発再稼働はどうする。LNG輸入による火力に頼るのか、自然エネルギーを導入するのか。そのコストはどうか、どれぐらいの負担が必要か。

 ・袴田さんの冤罪を生んだ背景は何か。再発防止策はあるのか。

 ・小保方論文は本当に捏造か、捏造を生んだ背景は何か。そもそもSTAP細胞は本当に存在するのか。


 ほんの思いついただけです。まだまだあるでしょう。

 日本が抱える真の問題、難題に切り込んでこそのジャーナリズムだと思うところですが、むしろ真の問題から目を逸らさせているのかと思えるほどです。

 「政治家のレベルは有権者のレベル」と言われます。

 ジャーナリズムも、本や雑誌を購入する読者によって支えられているわけで、「ジャーナリズムのレベルは一般国民のレベル」と言えるでしょう。

 これでは、この国の行く末は厳しそうです。