呉智英の劣化(5)

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 先に紹介したSAPIOにおける呉の評論には、いくつもの詭弁があります。

 韓系日本人衆議院議員の存在をもって、慰安婦の強制性を否定しながら、その否定は、「普通考えられるでしょうか」、「可能性は低い」という断定を避けた表現に終始しています。

 「知識があれば、」と言いながら、慰安婦の強制性を否定する史料や証拠は何ら提示されていないため、断定ができないわけです。

 http://ameblo.jp/qtaro9blog/

 こちらは当ブログの読者、Q太郎さんのブログです。

 きちんと史料や証拠を提示し、そうした根拠をもって論証する。プロの評論家のはずの呉こそ、すべき作業なのです。


 また、「衆議院議員がいた」にも説明不足があります。当時の衆議院は現在のような国権の最高機関としての衆議院とはまったく異なるものです。

 こちらは伊藤浩士さんのブログから引用します。

 

 『明治憲法は国の主権者を天皇1人であるとして、その他の人たちには主権を認めないという、おそろしく前近代的な憲法でした。主権在民という当たり前のことが無かったのです。

 国民は普通選挙法が成立しても25歳以上の男子が衆議院議員を選ぶ権利しかなく、衆議院は今のような国政の最高機関ではなく、主権者の天皇が参考のために国民の代表の声を聞いてやるといった程度の存在であり、天皇が衆議院の主張を無視しても憲法上はなんの問題もありませんでした。


 衆議院には内閣に対する質問権はなく、議会での演説はただ言っているだけのもので、内閣が無視すればそれだけのものであり、予算の審議権はありますが、否決をしても予算は前年と同額で執行されましたから、衆議院の採決は意味の薄いものでした。』


 呉は、「演説できるだけの衆議院」なんて話はしていません。一見もっともらしい話に、「おお、そうなのか」で思考を止めてはならないという話です。演説できるだけの衆議院議員なら、日本による統治に協力した韓系日本人に与えるアメとして適当なものでしょう。


 さらにSAPIOの同記事には、このような記述もあります。

 「私は、慰安婦の多くが好んで慰安婦になったとは思いません。甘言、瞞着(まんちゃく)によるものがほとんどで、自ら選んでそうなった場合でさえ、背景には貧困があります。これは豊かな現在の日本のいわゆる風俗嬢の場合でもそうなのです。大国間の利害に翻弄された当時の朝鮮なら、なおさらでしょう。」


 頭隠して尻尾隠さず、まったく矛盾する記述なのに本人は気付かないのでしょうか。その通り、「軍と連携している女衒が、親の負債を買い取って、売春による負債の返済を迫って連れていく」、「貧しさから教育を受ける機会もなく文字も読めず、だから容易に騙されてしまった」。

 そして軍の管理する慰安所に連れて行かれれば、それを拒否する自由はない。

 カネで娘が売られれば人身売買ではないか。人身売買された者は、男であれ女であれ俗に奴隷と呼ばれる。売られた娘は奴隷と同じ、その売られた娘が性行為を強要されれば、「Sex Slave」ではないか。どこに非強制性があるのか。どんな反論があるというのか。

 

 呉が本当にそんな信じがたいことを書いたのか、お疑いの方は、「呉智英 SAPIO 従軍慰安婦」で検索してみて下さい。


 私が呉に驚いた話はまだ終わりではありません。

 もう一つ、信じがたい呉の暴論を明らかにして、呉批判の最後とします。


 




 


 

 

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