今日のカットは、平等院 鳳凰堂の阿弥陀如来坐像のお顔(国宝)。
威厳の中に優しを感じます。
平安時代、末法思想が漂う中で、憧れる極楽浄土におられる阿弥陀様を理想的に造形されたのではと思っています。

生活の中で、何かミスをされたときや、人に無理な頼み事を受けたとき、「仏の顔も三度までだよ」と言うことがあります。
ただ、この言葉からすれば、3度目までは「OK」と思ってしまいます。
おとぎ話などでも「3つのお願い」など、3度目までは「OK」なものです。
でも、正しくは「仏の顔も三度」です。

この言葉は、「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」を略したもの。
「いくら慈悲深い仏さまでも、無遠慮に、汚い手で顔を撫でられたら切れてしまう」と言うこと。
つまり、どんな温厚な人でも。3度も同じようなことをされたら怒るのは当然です。
つまり3度目はアウトなのです。
「まで」を付けたいなら「仏の顔も二度まで」にしないと、誤解を生みます。

使う場合は、2度目のときに「これが最後、仏の顔も三度」と、もう後がないことを宣言しておくのが肝心・親切(?)です。