今日のカットは、江戸時代中期の儒者、雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう)氏の誕生日ということで、氏の似顔絵です。
と言っても、知らない人がほとんどだと思います。

中国語、朝鮮語に精通、対馬藩に仕えて日朝の外交関係に携わった人物。
氏の信念は「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」。
現在の政治家の真逆に思えます。
また、日本初の通訳者養成学校を設立しています。
社会や歴史の教科書では氏については一度も見た記憶がありません。

私が氏のことを知った経緯は、昨年秋に友人に誘われ、十数年ぶりに滋賀県 湖北の観音の里に行ったときでした。
仏像切り絵に誘われた高月町の渡岸寺観音堂の十一面観音、そこから足を延ばして石堂寺、鶏足寺を電動補助自転車で巡ります。
そのコースから見れば、高月駅で借りて、隣の木の本駅で返すのが普通。
ただ、レンタル料が、元の高月駅に帰せば1000円とリーズナブル。
でも、隣の駅に帰すと、一気に1800円。この800円の差に、ちょっと納得できず、電動補助もあることだし、元の駅に帰すことをチョイス。

この日初めて乗った電動補助自転車、高低差のある山道も楽々なのですが、何分にも往復の距離は、田舎のJR1駅分、思いの外長くてキツかったです。
でも、そのお陰で、帰り道友人が見つけた雨森芳洲維氏の記念館の看板に誘われて訪れることが出来ました。
友人は知っていたのですが、私は聞き初めの人物。
でも、丁寧な説明を受けて、立派な人物だったこことを知りました。
ただ、悲しいかな、半年以上経過した今、記憶は彼方に飛んでいます。
でもしっかり覚えていることは、この記念館周辺を自転車で走っていると、出会う人が皆、犬の散歩をしているお爺さんから、主婦、子供にいたるまで、会釈することです。
私達はレンタル自転車の観光客と見てわかるはずなのに。
こちらも会釈を返すのですが、清々しい気分になりました。
雨森芳洲氏の教えが今も活きているのでしょうか。