754年1月21日、鑑真和上さんが船が難破して漂流の末、現在の鹿児島県南さつま市に上陸したとされます(諸説あります)。
このとき、お釈迦さんの仏舎利を携えておられたと伝わります。
残された資料から推測するに、まだこのときは視力があったとされます。

鑑真さんは日本に戒律を伝えます。
また、天台宗の仏典も数多く携えておられて、日本に天台宗を伝えた功績もあるとされます。

今日のカットは、唐招提寺さん所蔵の鑑真和上像。
師の死去を悲しむ弟子の忍基僧が脱活乾漆法で作り、彩色したとされる日本最古の肖像彫刻とされます。
通常、仏師ならヘラを使うのですが、僧は手のひらで作った跡が残されているそうです。