「祈りの回廊」を見ると、現在法隆寺夢殿の秘仏である観音菩薩立像(救世観音)が公開とあります(5月18日まで)。
像高が178.8cmのこの像は、聖徳太子の等身大と伝えられています。もしそうなら、太子は当時としてはかなりの大柄です。
天平の頃、都では天然痘が流行し、藤原氏など多くの重要ポストの政治家も亡くなり、太子の怨霊と怖れて夢殿を建て、像を造って太子の供養をしたとあります。
「聖徳太子伝私記」には、この像を彫った仏師は、像の完成後まもなく原因不明の死を遂げ、また、鎌倉時代にこの像を模刻しようとした仏師も、像の完成を見ることなく亡くなったとあり、ちょっと怖い話です。
その後厨子は封印され、江戸時代には約200年間、法隆寺の僧さえ拝観することができない状態でした。
封印を解けば神罰が下り、地震で全寺が倒壊するという迷信が信じられていました。
これを、アメリカ人のフェノロサが、文化財保護の面から明治政府の意向もあって、頑なに拒む法隆寺を説得して封印を解いたのです。そのとき、法隆寺の僧侶らは逃げ出したとの話もあります。
像は、400mを超える綿布でぐるぐる巻きにされていて、堆積した塵埃にまみれながらの大変な作業の末、アルカイックスマイルの素晴らしい像が姿を現したとき、フェノロサの感激はひとしおだったといわれています。
なお、米国人のフェノロサですが、彼は滋賀県の三井寺で受戒した、正式な仏教徒でした。
像高が178.8cmのこの像は、聖徳太子の等身大と伝えられています。もしそうなら、太子は当時としてはかなりの大柄です。
天平の頃、都では天然痘が流行し、藤原氏など多くの重要ポストの政治家も亡くなり、太子の怨霊と怖れて夢殿を建て、像を造って太子の供養をしたとあります。
「聖徳太子伝私記」には、この像を彫った仏師は、像の完成後まもなく原因不明の死を遂げ、また、鎌倉時代にこの像を模刻しようとした仏師も、像の完成を見ることなく亡くなったとあり、ちょっと怖い話です。
その後厨子は封印され、江戸時代には約200年間、法隆寺の僧さえ拝観することができない状態でした。
封印を解けば神罰が下り、地震で全寺が倒壊するという迷信が信じられていました。
これを、アメリカ人のフェノロサが、文化財保護の面から明治政府の意向もあって、頑なに拒む法隆寺を説得して封印を解いたのです。そのとき、法隆寺の僧侶らは逃げ出したとの話もあります。
像は、400mを超える綿布でぐるぐる巻きにされていて、堆積した塵埃にまみれながらの大変な作業の末、アルカイックスマイルの素晴らしい像が姿を現したとき、フェノロサの感激はひとしおだったといわれています。
なお、米国人のフェノロサですが、彼は滋賀県の三井寺で受戒した、正式な仏教徒でした。
この仏像も好きな斜めアングルから何度もトライしたのですが納得できるものはデザインできませんでした。
なので、今日のカットは真横からのアングルです。
なので、今日のカットは真横からのアングルです。
