1月16日と7月16日は閻魔賽日、言わば地獄の休日です。
釜の蓋が開いて鬼も罪人も休める日とされ、閻魔堂へのお参りや十王図、地獄相変図を拝んだりします。
そして1月は今年最初の初閻魔です。そんなことで、今日のカットは奈良 白毫寺さんの閻魔王です。
子供の頃、親から「嘘をついたら、地獄の閻魔さんに舌を抜かれるゾ」と脅かされたものです。そしてそのお顔は子供を怖がらせるには十分以上の怖さです。
ただ、仏像切り絵で初めて白毫寺さんの閻魔王をデザインしたとき、あり得ないお顔であることに気づきます。
大王さんには顎がないのです。最初は経時変化で損傷、または仏師のミス、力量不足かな?ぐらいに思っていました。
でも、顎がないのはどうにもデザインしずらいです。参考までに他のお寺の閻魔王の写真をみても、顎がない!
これは何かの謂れがあるのではと思って調べると、閻魔王の慈悲深さに触れることができました。
そもそも何故、閻魔さんは怖い顔をされているかですが、優しいお顔で「貴方、現世で悪いことしません?」とたずねても、根からの悪は本当のことを言いません。
そこで罪を白状させて楽にしてやりたいという優しさから、心を鬼にして「真実を言えっ!」と迫ります。
取り調べの結果、罪を明らかにして、罪を贖わせるために地獄に落として「苦しみ」を受けるよう判決を下します。
しかし、いくら職務と言え、また罪人であっても「苦しみを与える」ことは閻魔さんも罪を犯すことになるそうです。ちょっと理不尽にも思えますが。
閻魔さんと言えど、罪を犯せば贖わねばなりません。どうやって?
何と、1日に三度、部下の鬼達に手足を押さえ込まれて口をこじあけられ、ドロドロに溶けた銅を流し込まれます。
そのときの苦しさは針地獄、血の池地獄など、罪人が受けるどの苦しみよりも遥かに過酷と言われます。
結果、顎が溶けて胸とくっついてしまったのです。
そんな苦しさに遭うのなら地獄に送らねば良いのではと、浅はかにも思ってしまいますが、それでは悪人に罪を贖わせて、改心させる(楽にさせる)ことはできません。
そこで、賢明な大王さんは考えます。
現世で悪事をさせなければ良いのだ。そうすれば地獄行きの判決も下さずに済むと。
そこで、分身を現世に遣わせます。その姿が地蔵菩薩です。
街角や田畑の畔など、津々浦々に姿を現して、民衆を説いておられるのです。
お寺で閻魔王と地蔵菩薩がおられたら、2つの姿でお祀りされているのです。
仏像切り絵を始める前は、仏像を拝観しても「優しいお顔」とか「迫力あるな」とか「怖い!」程度の感想を抱く程度でしたが、デザインした結果、調べる気になって知り得たことです。拝観するときの楽しさが増えたように思います。
釜の蓋が開いて鬼も罪人も休める日とされ、閻魔堂へのお参りや十王図、地獄相変図を拝んだりします。
そして1月は今年最初の初閻魔です。そんなことで、今日のカットは奈良 白毫寺さんの閻魔王です。
子供の頃、親から「嘘をついたら、地獄の閻魔さんに舌を抜かれるゾ」と脅かされたものです。そしてそのお顔は子供を怖がらせるには十分以上の怖さです。
ただ、仏像切り絵で初めて白毫寺さんの閻魔王をデザインしたとき、あり得ないお顔であることに気づきます。
大王さんには顎がないのです。最初は経時変化で損傷、または仏師のミス、力量不足かな?ぐらいに思っていました。
でも、顎がないのはどうにもデザインしずらいです。参考までに他のお寺の閻魔王の写真をみても、顎がない!
これは何かの謂れがあるのではと思って調べると、閻魔王の慈悲深さに触れることができました。
そもそも何故、閻魔さんは怖い顔をされているかですが、優しいお顔で「貴方、現世で悪いことしません?」とたずねても、根からの悪は本当のことを言いません。
そこで罪を白状させて楽にしてやりたいという優しさから、心を鬼にして「真実を言えっ!」と迫ります。
取り調べの結果、罪を明らかにして、罪を贖わせるために地獄に落として「苦しみ」を受けるよう判決を下します。
しかし、いくら職務と言え、また罪人であっても「苦しみを与える」ことは閻魔さんも罪を犯すことになるそうです。ちょっと理不尽にも思えますが。
閻魔さんと言えど、罪を犯せば贖わねばなりません。どうやって?
何と、1日に三度、部下の鬼達に手足を押さえ込まれて口をこじあけられ、ドロドロに溶けた銅を流し込まれます。
そのときの苦しさは針地獄、血の池地獄など、罪人が受けるどの苦しみよりも遥かに過酷と言われます。
結果、顎が溶けて胸とくっついてしまったのです。
そんな苦しさに遭うのなら地獄に送らねば良いのではと、浅はかにも思ってしまいますが、それでは悪人に罪を贖わせて、改心させる(楽にさせる)ことはできません。
そこで、賢明な大王さんは考えます。
現世で悪事をさせなければ良いのだ。そうすれば地獄行きの判決も下さずに済むと。
そこで、分身を現世に遣わせます。その姿が地蔵菩薩です。
街角や田畑の畔など、津々浦々に姿を現して、民衆を説いておられるのです。
お寺で閻魔王と地蔵菩薩がおられたら、2つの姿でお祀りされているのです。
仏像切り絵を始める前は、仏像を拝観しても「優しいお顔」とか「迫力あるな」とか「怖い!」程度の感想を抱く程度でしたが、デザインした結果、調べる気になって知り得たことです。拝観するときの楽しさが増えたように思います。
