琵琶湖の中から現れた城趾 | 注文の多い蕎麦店

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人間本来の生活を取り戻します。


昨日はまた出雲大神宮で水を汲んでから。
ちゃちゃっと買い出しを済ませて
滋賀の坂本へ。


 

まずは年季の入った蕎麦屋で昼休憩。


 

そして日吉大社へ。
創建は紀元前というかなり気合の入った神社です。
さすがにこの寒さで静かな境内。


 

国宝の西本宮。
御祭神は大己貴神ということは出雲族の流れか。


 

こちらも国宝の東本宮。

 


 

こちらの御祭神は大山咋神。


 

つまり山の神様。

 

そして西教寺へ。


 

こちらは織田信長の比叡山焼き討ちの煽りを食って荒廃した寺域を
明智光秀が再興したお寺です。


 

その縁で境内には明智一族のお墓があります。

 

こっちが光秀の奥さんの墓。

 

 

 

そしてこっちが光秀と明智一族の墓。

 

 


 

こちらもひっそりと静かな境内です。


 

庭が美しい。


 

そしてその明智光秀が建てた坂本城跡へ。


 

そしてこれが光秀の凛々しい勇姿・・・


 

ってなんじゃこりゃきゃわいいい〜笑


 

そして琵琶湖の水位が80cmも下がって湖の中から出てきたのがこの石垣。


 

こんなに際際に建てたのはこの城が水上交通の要であったから。

つまり光秀は攻撃や籠城のためにこの城を築いたのではなく

あくまでも交易目的の経済的要素を重視してこの場所を選んだのでしょう。
実際陸路よりも船を出せば対岸の安土城まであっという間だったわけですし。


 

そんな光秀があえてこの山奥の京北しかも山のてっぺんに城を築いた目的は
どう考えても籠城を頭に入れていた。
としか思えないんですけどね。

つまり本能寺で信長を討つことを決めた光秀が

なぜ周山城の建築に取り掛かったのか?なぜ城下町を作らなかったのか?

全て合点がいくような。


 

そんなことを改めて考えた坂本プチ旅行でした。
それにしても

わざわざこんな大寒波のときに行く必要なかったな朝から鼻水が止まらないぞ笑い泣き