今回の母親の病気の件で重ね重ね感じたことは
やっぱり僕には母親が必要だし。
兄にも母親が必要だし。
友達や家族や親戚にとっても母親が必要だなということ。
もちろん当の母親とて
もし今自分がいなくなったら息子たちはどうなる?
と自分が家族にとって必要な存在である。
という想像が病気や生に対する向き合い方に如実に反映され。
結果的に数字では計れないような
強い心の支えとなって命を繋いでいく
ものなんじゃないかな?
とそんな風に漠然と考えられた貴重な経験になりました。
そういう意味では父親が早逝してしまったのは
もしかしたら
誰かに必要とされている実感を持てなかった
ということなのかもしれない。
そういう実感を父に与えられなかった家族の責任はあまりにも大きすぎる。
と今更ながら考えざるを得ません。
と言っても昔のことを掘り返して
ああしてたらこうしてたらと後悔したところでまるで未来がないので。
これから出会うすべての人に
あなたは必ずこの社会に必要とされている
と照れずにちゃんと伝えていけるようなそんな生き方をしていきたいな
と思います。
もちろん僕も誰かにとって必要となれるような存在にならないとね。
まあ自分が自分自身を強烈に必要としているのだけれど