金沢では定石のモダン蕎麦屋 蕎麦明々庵(石川・金沢) | 蕎ばログ

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蕎麦屋が蕎麦屋を食べ歩く。一般人とは異なる同業者としての視点でシビアに鋭くタブーに突っ込みます。
技術や味云々よりも料理や蕎麦に対する信念、哲学、お客様への配慮等そういった方面から観察したいと思います。

2024・5月訪問

5月度災害ボランティア初日

 

 

朝市でじいちゃんの墓参り。

叔父がすこしずつクレーンを使って石を積み上げてるようです。

 

5月の連休明けですがこっちは朝はまだ寒い。

 

 

この日はどうにか天気も良さそうでボランティア日和か。

 

 

相変わらず穏やかな宇出津の港です。

 



旧役場前で野営してた自衛隊も撤収したようで

また静かな町が戻ってきました。

 

 

ちょっとずつ解体も始まり前に進んでるような気がする。

 

 

気がする。

 

 

気がする。

 

 

と言い聞かせる笑

 

連休明けから能登町の災害ゴミの受け入れが火水と休みになってしまったので

それに伴い松波の災害ボランティアセンターも火水と閉鎖になってしまいました。

 

なので石川県の災害ボランティアで珠洲方面応募したんですが

直接の受け入れは不可とのことで。

一旦能登空港まで戻ってそこからバスに乗って珠洲の社協まで

という何ともめんどくさい段取り。

 

しかも空港の集合時間が朝7時20分なので

急いで弁当を作って。

 

 

久々の珠洲道路。

 

 

この道を走るのはあの元旦以来です。

中斉の手前。

 

 

確かこのあたりが土砂崩れで完全に道路が塞がれてしまったところ。

そして本震があったのはこのへん。

 

 

とにかくまともに走れる状態ではなかったので

できるだけ広いところまでゆっくり辿りついたのがここ。

 

最初のアラームが鳴ったのはこのへんか。

 

 

今振り返ってもよく無事だったと武者震いが。

 

そして能登空港へ。

 

 

あの日一夜を明かした駐車場です。

当時は500人くらいがここに閉じ込められたんですが

日航の方にはほんとお世話になりました。

 

 

能登空港も1日1便だけですがようやく再開しました。

 

 

同じ敷地内の航空高校の教室にベースキャンプが設置されたので

今後能登町や珠洲へのボランティアはここが起点となります。

 

そして7時20分きっかりに恋路観光のぼろいバスが到着。

 

 

点呼もなにもなしに7時30分に出発。

1分でも遅れたら置いてかれます。

 

ここから珠洲のボラセンに向かうのは25名。

そのほとんどが空港のベースキャンプ泊。

 

そして40分かけて珠洲の社協へ。

 

 

手順は能登町とほぼ同じです。

最初オリエンテーリングのあとチーム分けしてリーダーや運転手を選んでという流れ。

 

 

この日のチームは大阪の守口に八尾、岐阜の高山、神奈川の伊勢原そして

なんと福島の磐城からと。

全国のあちこちからこの能登という最果ての地にまでということだけで感極まりそうになります。

 

珠洲のボランティア依頼は能登町と比べるとかなり少ない。

 

午前中は社協近くの飯田のお宅で大型冷蔵庫や箪笥の運び出しと

電動介護ベットを二階から一階へ。

という作業だったんですがそのままでは大きすぎて下ろせないので

一旦ばらして運んで下でまた組み立てる。

とボランティアというより町の電気屋さんみたいな仕事でした笑

 

そして一旦社協に戻り。

 

 

次の依頼先はずれた仏壇を元に戻すという仕事で。

 

2分で作業完了笑

 

この後長めの昼休憩。

 

 

やはり珠洲は別の場所に避難してしまった人が多いのか

生活してる人自体が少ない。

 

 

もちろん人に頼むわけにはいかないので自分で何とかしようと

能登人気質のおっちゃんも多いので。

こっち側からどんどんニーズを掘り起こしていったほうがいいと思うんですけどね。

 

 

午後は正院のお宅で布団とふすまの運び出し。

 

 

田舎あるあるで

ほんまどんだけ布団あんねんって感じでした笑

 

 

珠洲は火曜日の災害ゴミ受け入れは蛸島の一か所。

 

 

能登町と同じく分別が厳しいので事前にある程度まとめておく必要があります。

 

 

特に紙類(本とか新聞とかも)は頑なに拒否されるので

あらかじめチェックしておかないと二度手間になる。

 

そしてまた一旦社協に戻り。

 

 

山梨の北杜市からトイレトレーラー来てました。

そう言えば亀岡のトイレトレーラーは七尾の田鶴浜に設置されてたような。

 

そして午後の二軒目は崩れたブロック塀の撤収。

 

 

場所特定に時間がかかってしまい。

と言うかリーダーに自薦したこの八尾のおっちゃんが肝心のファイルを社協に置いてきたので

場所がわからないという。

 

蛸島のゴミセンターも夕方3時で閉まってしまうので(1分でも遅れた拒否されます)

もう最後は必死のパッチです。

 

 

帰りは金沢からの50人もいるので一気に人が増えました。

たぶん珠洲でここが一番人が集まってる場所だと思います笑

 

そしてまたぼろいバスに乗り込んで能登空港まで。

 

 

宇出津から直接来られたら30分もかからないんですけどね。

ほんとどうにかしてほしい。

 

能登空港には夕方4時半ごろ着。

ちょっとだけ時間あったので柳田から外浦の方に向かい。

 

 

町野地区を経由して。

 

 

このあたりもやっぱりひどい。

住所的にはここも輪島になります。

 

そして曽々木海岸へ。

 

 

名勝の窓岩も地震で窓が崩壊してました。

 

 

こっち側は地面が隆起したので海面が下がっている。

 

 

白い部分が海中だったところです。

 

そして垂水の滝。

 

 

ここから先はまだ通行止めでした。

 

 

Uターンして千枚田方面へ。

 

 

このトンネルもどうにか通れるようなってますが向こうからダンプとか来たら

またバックで戻らないといけない。

 

千枚田の方へもまだ行けないようだったのでここからまた柳田に戻るも。

 

 

ちょっと脇道にそれるとまだまだ道路は手付かずの状態。

 

 

 

まだまだ復興は始まったばかりです。

引き続き頑張っていこう。

 

家に帰ったら昔使ってた輪島塗のお膳ひと揃えが出てきたとのことで

京北に持って帰ります。

 

 

なんと大正時代100年前の作品です大事に使おう。

 

5月度珠洲災害ボランティア2日目

 

 

この日も朝から穏やかな天気です。

 

 

いつもと変わらない爽やかな宇出津の朝・・・

 

それどころではない。

6時半には出ないと汗

 

急いで弁当を作って。

 

 

宇出津の家から空港まではだいたい30kmなので

余裕みて50分くらい前には出発。

 

 

また恋路観光のボロネーゼなバスで出発。

 

 

この日はちゃんと人数確認してましたそりゃそうやわな。

 

そしてまた40分かけて珠洲の社協へ。

 

 

この日のチームは総勢9人。

大阪、愛知、栃木、地元の七尾とまた全国から。

大阪の人にはよく会いますが京都は皆無。

それも地域の特徴をよく表してると言えるが。

 

午前は大谷地区へ。

 

 

大谷方面はまだ道路が完全に復旧してないので迂回に次ぐ迂回。

 

依頼は地震でぐちゃぐちゃになった部屋の片づけと。

リフォーム後↓

 

 

ボロボロになった畳の引き上げ。

 

 

大谷には遠い親戚がいるので知ってるか聞いてみたら

 

その苗字いっぱいおるで下の名前で言うて

 

って結構特殊な苗字だったんですけどね笑

 

 

そしてまた社協に戻って長い昼休憩。

 

 

ほんとこの時間がもったいない。

能登町のときは昼ごはん食べる間もなかったのに。

 

 

午後は若山町へ。

 

 

飯田から正院にかけてもやっぱりまだまだ手付かず。

 

 

依頼先は珠洲焼の窯元でした。

 

 

震災で崩れた窯の煉瓦や木材の運び出しだったんですが。

レンガだけでもこの一角全部。

 

 

1個4㎏もあるので皆横並びになってバケツリレーのようにして

レンガを右から左へ受け流す。

 

 

結局軽トラ5台がかりで2往復したところで時間切れ。

あの長い昼休憩なかったら終わってたやん。

 

水曜日は珠洲のゴミ受け入れは飯田港の1か所のみでした。

 

 

平日ということもあるが能登町と比べるとやっぱりゴミの数自体が少ない。

 

 

まだまだ周りはこんなんなんですけどね。

 

 

ボランティアどころか公費解体待ちといったろころか。

 

 

途中移動式の仮設住宅発見。

 

 

もしかしたら熊本あたりから運んで来たのかも。

 

これにて2日間の災害ボランティア終了。

 

 

どうもまだまだ力が余ってるので不完全燃焼ですが

先は長いのでゆっくりゆっくりと。

 

家に帰る前に柳田の福正寺に寄り道。

 

 

ここはうちの宇出津の家の菩提寺。

 

 

本堂はどうにか無事ですが中も外もぐちゃぐちゃになったので

再建のためクラファンで資金集められてました。

 

 

ほんといい時代になりました。

そういうのを知ってる知らない知ってるけどやらないで動き出しが断然変わってきます。

 

 

相変わらず穏やかな内浦。

 

 

輪島の方は海底が隆起しましたが逆にこちらは下がったような。

お土産を買いに能登町役場に寄って。

 

 

昔はここが能登鉄道の終着駅でした。

小さなワンマン車両に揺られて亀岡からここまで兄と二人でやってきた遠い昔が懐かしい。

 

翌朝も最後に墓参り。

 

 

帰るときになって一番いい天気です。

 

 

ただし下り坂なのか朝から蒸し暑い。

 

 

能登は緯度にすれば京都よりずっと北の方ですが

フェーン現象でこれからずっと暑い日が続きます。

 

 

まあ京都市内のあの地獄のような窯風呂状態に比べれば全然ましですが。

 

 

市場に寄ってみたら何やら賑やかな気配。

 

 

めっちゃ魚上がってる。

 

 

宇出津港は能登でも屈指の旗艦港です。

 

 

内浦は珠洲の先端から富山にかけてぐるっとおおきな港湾のような地形になってるので。

魚種もかなり豊富。

 

 

小浜も結構いろんな魚上がりますが宇出津の比ではないです。

 

 

いよいよ能登の町も戻ってきたなと言う感じですね。

めっちゃ気合いが入る笑

 

最後なので酒垂神社にも。

 

 

やっぱりここから見下ろす宇出津の町が好き。

 

 

それにしてもこの能登と言う日本の端っこの最果ての地に

全国のあちこちから支援の手が届いてることに感謝の念しかありません。

 

 

能登も少しずつ前に進み始めましたが

やはりどうしても人の世話になってられるか。

という能登人特有の自立意識が復興の妨げになってるような気がしてなりません。

 

 

もちろんそれが良い方向に向かえば

行政や第三者からの支援を受けずとも自発的に復興できるような原動力に成り得ることもあるのですが。

 

 

今回の場合はあまりにも被害が甚大で広範囲に及んでるので

自発的な行動だけではどうにもならないところまで来てると思います。

 

 

なので今行ったら逆に迷惑になるんじゃないだろうか?

余計なことはしないほうがいいんじゃないだろうか?

 

などという日本人気質な自粛規範が一番復興の妨げになるような気が。

 

 

能登はまだまだ人の手を欲しております。

住民の皆さんは大丈夫大丈夫なんとかするから

と人の手を煩わせることに負い目を感じられると思いますが。

 

 

こっちから積極的に手を差し伸べるお節介も時には必要なんじゃないでしょうか。

たとえそれが迷惑だったとしてもそれがなんぼのもんじゃいって話です。

 

 

最後なので白山神社も。

 

 

そう言えばうちの井戸水蕎麦打ちに使ったことなかったので一度試してみることに。

 

 

また帰りに2月の炊き出しでお世話になった瑞穂公民館に寄ってから。

 

 

瑞穂も水道が復旧したので避難所の役目は終了しました。

少しずつ日常が戻り始めている。

 

のと里山海道の上りはまだ全線開通してないので

七尾の徳田大津までは下道になります。

 

 

いい機会なのでぶらぶら景色を楽しむ。

穴水のボラ待ち櫓。

 

 

昔はこのやぐらの上に見張り役が陣取って魚が湾に入ってきたのを目視で確認してました。

担当はじゃんけんか何かで決めたんだろうか笑

 

七尾湾もいつも穏やかです。

 

 

のと鉄道能登中島駅。

 

 

ようやくのと鉄道も再開しました。

 

 

昔はこの車両が宇出津まで走ってたんですが。

 

 

あとは金沢まで一気に出て野菜の買い出し。

 

 

京都とはまた違った野菜があるのでそれも愉しみ。

 

そして金沢市内で昼休憩。

 

 

金沢中心部からはやや離れた新しく出来た住宅地の一画という立地。


 

最近出来たばかりなのでしょう。
外も中もピカピカ。


 

それにしても金沢の蕎麦屋はこういうモダンなスタイルが非常に多い。


 

カウンター✕8とテーブル4✕2、2✕1くらいのキャパ。
開店30分後くらいでしたがほぼほぼ埋まってました。

メニューはこちら。


 

すぐ下げられる気配だったので急いで写真を。


 

そういうシステムだと追加注文が減るのが難題。


 

お酒は北陸推しで。


 

鴨が季節終了で
塩炙り鶏がぶっかけとのことで
季節限定の鱧天ざるで。


 

天ぷら。


 

鱧に新玉ねぎ、ししとう、金時草、アスパラ、茄子、さつま芋。
とかなりボリューミー。

魚はやはり美味い。

そしてお蕎麦。


 

北海道と福井のブレンド抜き実自家製粉微粉の5%繋ぎ入り。

温めに仕上げてあるので柔らかな食感が心地よいが
風味はやや浅い。
キタワセの方が勝ちすぎてるのかもしれない。
と言うかなぜにブレンド?という単純な疑問もある(たぶん福井だけでは予算の問題があるのだろう)


 

結構若めの店主さんだったので

これから新しい感覚もどんどん反映していければまだまだ成長するかもしれない。
ってなんで上から目線ニコニコ

 

蕎麦明々庵

石川県金沢市戸板4丁目9