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そのみんですニコニコ

 

私のブログに訪れて下さり

ありがとうございます🎶

 

初めて私のブログに訪れて下さった方は

まず私のプロフィール

お読みになって頂きたいですラブラブ

 

※私のプロフィールをお読み頂くことであなたのカサンドラの悩みから抜け出すヒントが見つかるかもしれませんよ

 

なぜなら私のプロフィールでは

私自身がカサンドラで辛かった体験と、なんとか対処方法をみつけ心が幸せになった実体験を包み隠さずお届けしているからです

お役に立てれば幸いです

 

『 MY STORY 私がカサンドラ症候群になるなんて…』

今回は第3話です〜


私は今回はじめて
連載ストーリーを
色んな勉強をしながら
書こうとしていますキラキラ


一度投稿した後に

表現を変えていくかも

しれませんが

頑張って書いていきますので

応援よろしくお願いしますラブラブ



    

MY STORY 私がカサンドラ症候群になるなんて…


 

第2話のあらすじ…進学校入学後に母から「女の子だから大学なんて必要ないでしょ」と言われました

大学進学を諦め看護専門学校に行くために勉強を始めました

でもやっぱり大学に行きたくて受験することだけ許されたので大学受験もしました

そして大学にも合格したのです


【第3話】大学には行けませんでした


「速達でーす」

希望した、しかもかなりの倍率の私立の看護大学の合否の通知が速達で届きました!

今から30年以上前の話です〜
合格通知はネットではなく郵便です
しかも速達ですメール郵便局

速達が届いた次の日には新聞にも大学の名前と合格者のフルネームが掲載されます
今では信じられませんよね
今は個人情報保護ですものね



 



恐る恐る封書を開けました
たぶん、不合格だと思っていたので…

入学を許可する     
        だったなかな?

そういう文字がみえました

「え!?」

びっくりしました
そしてうれしかった
涙がでてきましたタラー
やればできるんだ
ホントによくやったびっくりマーク

模試でも合格圏内に届かないことが多かったから絶対に落ちてると思ってました



不合格の通知をもらうことで、自分の学力が足りないから大学ではなく専門学校で看護の勉強をする〜そう自分に言い聞かせるために大学を受験した面もありました

でも受験勉強は
起きてる間のほとんどの時間をあてるほど頑張ってました

やっぱり心の奥底では大学に行きたくて必死だったのだと思います

それだけベストを尽くしたから
もしかしたら合格するかも?と思う自分もいました

だから本当に
嬉しかった

でも…
両親からの「おめでとう」の言葉はありませんでした
両親がどんな顔をしていたのかも思い出せません


両親が進学を許してくれた地元の看護専門学校の合格通知はその日より前に届いてました
もちろんそれには
「おめでとう!」
でした
 


その日から
私の頑張りを知ってる同級生からの「おめでとう」の電話がたくさんありました

もちろん、「専門学校じやなくて大学に行くんでしょ?」
って聞かれました

当時はラインもメールもありません
合格しても行くことのできない現実と友達からの祝福の言葉に挟まれてなんともいえない虚しさにおそわれました泣

そして友達には元気なく
「ありがとう」
と返事をしました…

どちらに行くのかも返事ができませんでした

親戚からも看護師になるなら大学も専門学校も同じ資格だから大学に行っても仕方ないと言われました

親戚で看護師の人はいなかったのに…
なんで無責任にそんなこと言えたのかな?って今は思いますけど、当時の私は反論する方法がわかりませんでした


両親も当然、大学には行けないんだからという気持ちだったのでしょう

私に相談する機会もくれず、父は真っ先に地元の専門学校に入学金を納めに行きました

父は入学金を納める時に看護学校の教員に私が大学に合格したことを伝えたそうです

教員から、大学でも専門学校でも同じ看護師になれるから無理して大学に行かなくても大丈夫と言われたそうです


私は最後の勇気を振り絞り
大学の入学金を納める締め切りの日の朝にもう一度母にお願いしてみました

「やっぱり大学に行きたい、行かせてほしい」

「そんなの無理よ…」

そのあと母は無言でした


私はそれでどんなに懇願しても大学には行けないんだなぁと実感しました





大学を受験した自分が悪いんだなと自分を責めてみたり
なんとかして大学に行きたい気持ちを抑えました


それ以来、大学に行けなかったことについて両親と話しをしたことはありませんでした
話題にすることで両親を責める気持ちになるのが嫌だったのかも知れないし
もう過ぎてしまったこと、自分の力ではどうにもならないことだから諦めるしかなかったんです
過去は変えられないし…



最近になり、
父と私の2人だけの時に
この時の話しをしました

父は当時、仕事が忙しく子供の教育のこともすべて母に任せていたそうです

当時、週休二日制でもなく
ホントは休みのはずの日曜日も休めないこともあるくらい
一生懸命家族のために働いてくれていました

私が大学に行くことを父は反対はしてなかったけど、経済的には無理だった
そして私が奨学金を借りる手続きをしてたことは知らなかったと教えてくれました

そして父は涙ぐんでいましたタラー
(お父さん、辛いこと聞いてごめんなさい)


あのとき、父は母に 
私の大学のことは
「私にまかせなさい」
と言われたそうです

まかせなさい
その意味は
大学に行くことを諦めさせるのをまかせなさい
ということだったみたいです



私が今もこの頃のことが悲しい思い出になっているのは
たぶん両親と 
自分が大学に行きたい気持ちを十分に話し合いができなかったこと〜
気持ちを共感してもらえなかったからなのかなと
今、こうして書くことで
なんとなく思います


泣く泣く
地元の看護専門学校に入学することを決めて18歳の春を迎えたのでした



その頃から
もし将来自分に子供ができたら子供が望む教育を受けさせれるように経済力は身につけよう

お金が理由でやりたい事をあきらめる〜そんな悲しい思いはさせたくない〜
そう思ったのでした


 

次回は看護専門学校での出来事をお話します




最後までお読みいただき

ありがとうございましたピンクハート



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