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 ありがとうごさいましたラブラブ

 

そのみんですニコニコ

 

私のブログに訪れて下さり

ありがとうございます🎶

 

初めて私のブログに訪れて下さった方は

まず私のプロフィール

お読みになって頂きたいですラブラブ

 

※私のプロフィールをお読み頂くことであなたのカサンドラの悩みから抜け出すヒントが見つかるかもしれませんよ

 

なぜなら私のプロフィールでは

私自身がカサンドラで辛かった体験と、なんとか対処方法をみつけ心が幸せになった実体験を包み隠さずお届けしているからです

お役に立てれば幸いです

 

『 MY STORY 私がカサンドラ症候群になるなんて…』

今回は第2話です〜


私は今回はじめて
連載ストーリーを
色んな勉強をしながら
書こうとしていますキラキラ


一度投稿した後に

表現を変えていくかも

しれませんが

頑張って書いていきますので

応援よろしくお願いしますラブラブ



    

MY STORY 私がカサンドラ症候群になるなんて…


 

第1話のあらすじ…とても幸せな家庭で育ち、両親の姿から理想の夫婦像を学び私も将来は同じような家族を持ちたいと夢見ていました

家庭の経済状況も知らずになんとなく進学校に入学したのでした


【第2話】女の子だから大学なんて必要ないでしょ そう母に言われました


進学校に入学しましたが、私はガリ勉少女だったわけではないんです


私は中学、高校時代はソフトテニス部に入っていました

日焼け止めもほとんど塗らずに毎日日差しを浴びていたので、毎年夏休みが終わったあとは

真っ黒に日焼けしていました

男子からはちびくろサンボと

言われてしまうほどでした





では第2話です


高校に入学したあと


「ねえ、お母さん、

私、高校卒業したあとは大学に行かせてもらえるの?」


進学校なので、入学するとすぐに大学の受験に向けての話しがありました


女の子の教育は高校までで十分と母親は思っていることをなんとなく察知していました

でも

はっきり聞いたわけではなかったので聞いてみたんです


「女の子が大学なんて行って何になるの? いく必要がないでしょ
もちろん高校を卒業したら就職でしよ」

やっぱりそうなんだ…ガーンアセアセ
なんだ…泣
それならもう一つランクを落とした高校にすればよかった…ガーン
進学校だからついていくのも大変なのにな…チュー
いろんなことを
私は心のなかで思いました



実際、中学の時にはクラスで上位でしたけど、高校はそういう人の集まりなので私の成績はほとんどビリでした

中学の頃、塾にも通っていませんでした
通いたかったけど、母に反対されました
まわりの友達は中学の頃から塾や、進研ゼミとかなんかそういうのもやってて私とは差がありました
そのためなのか、授業についていくのも大変でした

それなら母は
どうして私を
進学校に入学させたかったのかな?
私は母親が進学校に行くことを勧めてきたので自分でも行きたい気持ちになり
受験勉強も頑張って合格したのですけど
ちょっとわけが分からなくなっていました

そしてそもそも母親が大学に行かせてくれないという気持ちをはじめて確認したので悩みました
勉強する気持ちもなくなりました…
 
とりあえず部活に打ち込み、ますます真っ黒になり、授業中は居眠りしたりと
そんな高校1年生でした





両親は現在80歳代です
両親とも中学卒業でした
母は、家が貧しかったので勉強より家の仕事や農作業を手伝うことを強制されて育ったそうです
勉強していたら親に怒られたと言ってました

父は子供の教育のことは母に任せっきりでした
仕事が忙しかったので子供の教育については母に任せっきりでした

母は世間体とか見栄みたいなものをわりと重視していたのでしょう
成績のいい私はたぶん自慢だったと思います

進学校というより、地域で1番の高校に娘が入ること!が
母の目的だったのでしょう

進学校に合格したことはもちろん両親も喜んでくれました

ここまでは母と私も意見の相違はありませんでした
でもその後のことを相談したこともなかったのでここから母を納得させるにはどうしたらいいか悩みました




まわりが進学するというのに自分だけ就職なんて私は嫌でした

子供の頃から専業主婦になることのほかに
何となく自分の経済力をつけたいとも思っていました

このまま就職するのは嫌だな〜
普通のOLになって専業主婦になるだけが女の子の人生なのかな…


そうだ  看護専門学校に行こう!

自宅近くに、看護専門学校があったのです
専門学校で何か特別な知識や技能を身につけることなら許してくれるかもと思いました

専門学校なら、大学に行って何になるの?という母親の進学に反対する気持ちに対抗できるかな?と考えたんです



当時の看護専門学校は今とは違いかなり破格の安い学費で学校に行けました
地元の学校は寮生活で卒業後に付属の病院に就職するのが条件で学費もほぼ無料だったのです

それからだんだんと看護師の制服や今はみかけなくなったナースキャップを被って働く姿に憧れていきました



「お母さん、私、看護婦になろうかな?」
 ※当時看護婦と呼ばれていました

母親に看護師なら専門学校があって、しかも地元にも専門学校があること
学費もほとんどかからないことを説明すると賛成してくれました
それが高校2年生の頃でした

目標が決まったらあとは勉強あるのみ
友達も同じく看護専門学校を目指していたので一緒に頑張りました
もちろん部活も続けました




でも…
まわりの同級生は都会の大学を目指すんです
そして都会にでてからの楽しい生活を語りあうんです


そうなると、私も看護系の大学に行きたいな〜と思うようになったんです
都会で生活したいという理由のほかに、
看護師の国家試験に合格したらすぐにそのまま大学にのこり、助産師か保健師の勉強もしたいと思ったのです
当然、母は

「お金がないから大学は無理よ」

といいました

私も学力面でも大学は無理だと思ってました
でも、ダメもとだけど大学も受験してみたいと思うようになりました

そして母も
たぶん合格するわけがないと思っていたので受験することだけ許してくれました

その当時も看護模試(看護系の大学、専門学校をまとめての模試)がありました
結果は毎回、希望の大学の合格ラインには程遠いものでした



でも私はもしかしたら合格するかも、合格することを願い大学の奨学金をもらう手続きもしました
そこまで準備したら、両親ももしかしたら大学進学に協力してくれるかも…
ビアノも無理して買ってくれたこともあるし…
と少しの期待もありました

そして必死に勉強しました
クラスで下の方の成績だったのに受験の頃にはクラスの上位にランクインするくらいに…


そして
そして
なんと希望した都会の私立の看護大学に合格したんです




でもそれからのことは
私の人生のなかで何個かの
辛かった思い出になるんです


次回に続きます…



 

次回の予告

大学の合格通知が届きました

でもやっぱり大学に行くことは許してもらえませんでした

そして看護専門学校に行くことに決めました



最後までお読みいただき

ありがとうございましたピンクハート



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