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 ありがとうごさいましたラブラブ

 

そのみんですニコニコ

 

私のブログに訪れて下さり

ありがとうございます🎶

 

初めて私のブログに訪れて下さった方は

まず私のプロフィール

お読みになって頂きたいですラブラブ

 

※私のプロフィールをお読み頂くことであなたのカサンドラの悩みから抜け出すヒントが見つかるかもしれませんよ

 

なぜなら私のプロフィールでは

私自身がカサンドラで辛かった体験と、なんとか対処方法をみつけ心が幸せになった実体験を包み隠さずお届けしているからです

お役に立てれば幸いです

 

 今回から

『 MY STORY 私がカサンドラ症候群になるなんて…』 連載物語をスタートします


私は今回はじめて
連載ストーリーを
色んな勉強をしながら
書こうとしていますキラキラ


一度投稿した後に

表現を変えていくかも

しれませんが

頑張って書いていきますので

応援よろしくお願いしますラブラブ



    

 MY STORY 私がカサンドラ症候群になるなんて…


【第1話】とても幸せな家庭で育ててもらいました  両親に感謝です


「お父さんが一生懸命働いてくれているから、ご飯が食べられるのよ〜」

「お父さんに感謝しなきゃね」


私と妹は母にこう教えられて育ててもらいました


母は一時期パートで働いてたこともありますが、ほぼ専業主婦です


食事はもちろんのこと、おやつを手作りしてくれたこともありました


よく作ってくれたのは

こんな感じのロールケーキです  

  



電子レンジを買ってからはカップケーキも作ってくれました



母は私達姉妹が小学生の頃

友達を招待してお誕生日会を開いてくれました

ロールケーキやカップケーキはお誕生日会にも作ってくれて

楽しかった思い出ですね照れ


父の帰りが遅い時に先に晩御飯を食べる時に母は必ず

「お父さんに悪いけど先に食べようね」

  と言ってました


父は優しく、何事も母に従う穏やかな性格の人です


父は板金(ばんきんと読みます、主に屋根をはる)の仕事をしていました


ステンレス鋼を扱っていたので私が小学生の低学年の頃には

授業で使う水車を先生に頼まれてステンレスで作ってくれました



水車の羽の形を変えたり、向きを変えることで水車の回る速さが変わる実験で使ってもらいました


「そのみんのお父さんが作ってくれたのよ」

と先生が紹介してくれたのが嬉しかったのを覚えています



私は両親が喧嘩をしているところをみたことがありません


夫婦喧嘩をしている姿をみせずに私達姉妹を育ててくれたことには感謝しかありません


父の休日には家族で自転車でちょっと遠いスーパーに買い物に行き、私達姉妹にはソフトクリームを買って食べさせてくれたのも楽しい思い出です





車もなくて家族みんなで自転車なんです

そんなちっちゃいレジャーでさえ楽しかったです





いつもおだやかな雰囲気や楽しい会話がある幸せに満ちた家庭でした


そんなお互いをいたわりあう優しい両親に育ててもらいました




うちに車がなかったのは父が自動車の運転免許がなかったからです


父は仕事でどうしても免許が必要になり40歳を過ぎた頃に

自動車学校に通い始めました


「S、山、踏み切り、クランク〜」


自動車学校でまわるルートを暗記しなければと必死で

家の中で何回も唱えていました


40歳を過ぎて免許を取るとこは父にとって大変だったと思います

父はコツコツ努力するんですね



最近になり

父が75歳を過ぎた頃に

母が病気になり家事ができなくなりました


父はその頃から母に代わりすべての家事をこなしています

75歳を過ぎて、料理をはじめた父のことを私はとても尊敬しています

そして父の手料理の美味しいこと〜

実は料理のセンスもあったのかしら…私より肉じゃがなんて美味しく作れちゃいます



父の行動をみて、人はいつまでも成長できるんだな〜

見習わなくちゃ 

私も頑張ろう!って思います



経済的には豊かではないけど、特別貧乏でもない平均的な経済状況の家庭だと小さい頃の私は思っていました



小学生の頃にピアノを習わせてもらいました

家の中にピアノを置くスペースもなかったのに、押し入れを改造して場所を作りピアノを買ってくれました



今振り返ると

その頃たぶんあんまりお金がなかったはずなのに

私のために無理してくれたんだろうな〜って思います

無償の愛なんでしょうね


そのピアノは

中学生の頃に辞めてしまいました

いつのまにかピアノがただの飾り物の状態になってしまってちょっと申し訳ない気持ちになります



そんな家庭でしたが

母親は子供の教育は高校までで十分だと考えていたようです

女の子が大学に行って何の役にたつの?

両親ともに中卒だったので母はそう考えていたようです

もちろん大学に行くための資金準備もされていませんでした


家計管理は母がすべてやっていましたし

父は母に従う人なので父が教育についてどう考えていたかは

その頃は知りませんでした



中学生になる頃には

私も両親の

教育は高校までという考えを

なんとなく察知していました

でも勉強して良い成績をとれば母親は喜び、私はそれが嬉しくて勉強しました

勉強することも嫌いではなかったですしね



そして私は地元で進学校と言われる高校を受験したのでした

仲良しの友達も同じ学校を受験しましたし、

高校のあとの進学や就職についてはほとんど考えていなかったのです


高校進学後に

経済的なことが原因で私にとっては辛いことがおこります

これは次回お話しますね〜


子供の頃から

自分の育った家庭が、普通の家庭だと思ってました

よその家庭のことも知らなかったし

両親の仲良し夫婦の姿が当たり前のことだと思っていました


妻のお陰で、夫も安心して日々の仕事に打ち込めるものなんだと思ってました

夫は働いて家計を支え、妻は家事、育児などで家庭を守ることが夫婦としての役割なんだと思ってました

だから、専業主婦である母のように私も結婚して幸せな家庭を作りたい〜と子供の頃から思ってました

 

そして優しい父がいつも母のことを守っている、それが夫婦なんだなと思ってました


私も将来はお互いのことを大事にする仲良し夫婦になることを夢見ていたんです



お互い助けあい、愛情をもって支えあう、それが夫婦だということを両親から学びました




夫の対応が父の対応とは全く違う面があったのでそれは本当に戸惑いました

理想の夫婦像からかけ離れていたので余計に辛かったんだと思います

まして暴言で苦しむなんて想定外のことでした



そして私は高校生になりました


次回に続きます…



最後までお読みいただき

ありがとうございましたピンクハート



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