2008-9-30

最近、雨が降ると豪雨。まるで熱帯になったかのようです。シンガポールに住んでいた時、現地の友人と一緒に歩いていて、すごく怒られたことがあります。それは側溝のフタの上を歩いた時のこと。「落ちたらどうするのだ!」と言う友人の顔を見ながら、「そこまで怒らなくても」と思ったのですが、よくよく見てみると、深い。日本のそれよりも、かなりの深さがあるのです。実は、その後少しして、日本から遊びに来ていた会社の後輩の一人が片足を落として、病院に担ぎ込むことになりました。シンガポールでは、雨季になるとバケツをひっくり返したような雨が降るので、それに対応できるように、側溝がずんと深く作られているのです。ずっとそんなことは忘れていたのですが、今年の各地の豪雨を見ていると、そろそろ日本も深い側溝に取り替えた方がいいのではと思ったりしています。


続・パネルベイってどこ? ~ 何が起こっているのか

大阪湾岸で大型プロジェクトが進み、活況である。薄型テレビ向けパネル工場の集積が火付け役となったので、大阪「パネルベイ」と呼ばれている。当初は、テレビ向けの液晶パネル工場、プラズマパネル工場だけだったのが、ここへ来て太陽光発電パネルの工場も相次いで進出が決まり、これまた「パネルベイ」の名称の現実味を帯びる要因となっている。

主要なものは、堺市に建設の進むシャープの液晶パネル工場、尼崎市のパナソニックのプラズマパネル工場、そして姫路市のIPSアルファテクノロジの液晶パネル工場の三つに加え、和歌山市の新日鉄の新高炉建設。こうした主要なものだけでも、経済波及効果は2兆2869億円に上るとの試算(関西社会経済研究所)もある。

さらに、新たな工場建設計画も明らかになり、これらに伴う形で大型の物流基地などの建設計画も進んでいる。永らく首都圏や東海圏に比較して、製造業の低迷が問題となってきた関西圏にとって、久方振りの産業活性化が進んでいる。

今までの十年以上、大阪湾岸の埋立地からは重厚長大型の産業の縮小、撤退が進み、土地余りの状況が続いてきた。私が関わった検討会議や委員会などでも、工業用地から商業用地への転換や、住宅用地への転換も検討できないかなどという意見が多く出ていたものだった。一部は、商業用地への転換や、あるいは公園緑地としての使用が行われてきたが、その多くが「無用の長物」的な存在として批判の対象となってきた。

それが一転して、現在では用地不足の問題が起こっていると言う。(このように書くと、またすぐにあそこも空いている、ここもというご批判が巻き起こるが、現在、空地のままの用地は、何らかの理由があり、工業用地として適さないあるいは、地盤の問題などで利用できないところが多い。)

こうした巨大工場進出の流れは、何を意味しているのだろうか。世界的なデジタル放送化の流れと液晶、プラズマテレビの需要増大。原油価格の高騰による太陽光発電パネルへの需要増大。さらには、電気自動車や電気バイクの製造本格化に向けてのリチウムイオン電池の需要増大。そして、これらの周辺資材や機器の製造工場や、物流基地の需要。こうした流れが大きくうねりながら、大阪湾岸への投資を活発化させている。

全てを手放しで評価するわけでも、将来を楽観視するわけでもない。先日、船上から大阪湾岸を視察する機会に恵まれた。実際に大阪湾岸を巡ってみると、眼前のそれらの流れが大きく街を動かしていくことに驚嘆した。また、姫路に建設中のIPSアルファテクノロジの液晶パネル工場の建設現場の視察にも参加させていただいたが、活況を呈している今の大阪湾岸は、確かに世界でも数少ない先端産業の集積地として成長しつつあることを実感せざるを得ない。

問題がないわけではない。先端産業の製品だけあって、重要部品の内製が進んでいることや、高度の技術が要請されるために、協力会社も大企業が大半であること、さらには最終製品であるテレビなどを製造するのではなく、パネルまでの製造であることから、部品の点数などが数少なく、地域の中小企業への外注量が期待できないことなどである。大手メーカーは、地元経済界からの要請に基づいて商談会などを開催するなど、協力する姿勢を見せているが、現実には難しいようだ。また、建設中は多くの作業員が従事するが、いったん完成すると自動化、機械化、省人化が徹底されているだけに雇用人員はかつての大型工場に比較すると少ない。

それでも、沈滞が続いてきた関西経済にとっては、これだけの投資が続いていることはマイナスになるはずもない。「うちへの発注が爆発的に増えるなんてことは期待していない。しかし、すでに海外メーカーとの取引もあり、今後、この地域に集積していく産業にかかわっていけることは、大きな期待だ」と中堅化学メーカーの経営者は言う。「製造機器類は精密なものが多く、遠方よりも問題があればすぐに対処できる地元企業が有利。関西には高い技術を持った中小企業が多く、わが社も期待している」と機械部品製造メーカーの経営者も言う。「今ほど、スピードが求められている時代はない。中国四国には、優秀な化学品メーカーが実は多く集積しており、今後の先端産業で重視される化学面での有利さがある」とある自治体の関係者は、大手メーカーがプレゼン資料として配布した地図を見ながら、「今まで意識しなかったが」と前置きをつけて話していた。

果たして関西経済は、久々の大型投資を受け止め、これからの発展に益することができるのかどうか。これだけの最先端産業の投資が、この狭い範囲に集中している地域は、世界的にも、国内的にも稀有な例でもある。その点から言えば、我が国の次世代産業の集積地が、うまく形成されていくのか否かは、関西経済だけの問題とは言えないだろう。

参考記事はこちらをご覧ください。(神戸新聞サイト)
→<戦略を語る

→<松下、シャープ効果生かせ
2008-9-30

小生が大学に勤務し始めた1980年代後半、教員室には正規職員の方が1名働いていた。現在、教員室には常時2~3名が勤務しているが、皆、大学の子会社である派遣会社から派遣されている方たちだ。学部や大学院の事務所、図書室、本部などで働いている人たちの中にもかなりの割合でこの派遣会社からの派遣社員が働いている。おそらく1名の正社員を雇用する費用で相当数の派遣社員を雇うことが出来るのだと思う。 また、当時までは守衛さんや印刷を行う職人さんたちも大学に直接雇用されていた。冬になると黒い厚手のコートを身にまとっていた守衛さんたちもいつの間にか姿を消し、今は警備会社の人たちが学内の各所に配置されている。担当となる警備会社は毎年入札で決まるようで、時々会社が替わっていっせいに知らない人たちばかりになる。印刷の仕事は子会社に移管された。学内をお掃除したり機械室などを管理する人たちも全て外注先企業の方たちである。しかも彼ら自身その企業の正社員ではない人たちが多いようだ。

そればかりではない。肝心の講義を担当する教員の中にも非常勤教員がたくさんいる。それも必修科目の中に多い。カリキュラムを改定して必修科目が増えるごとに非常勤や客員の方たちにお世話になる回数が増える。さらに、大学院を改革して社会人や外国人向けの科目を増やそうとするごとに学内に適材がいないことに気づき、ここでも非常勤、客員、特任などの肩書きの方たちが増加する。おまけに大学の広告塔として採用する教員(どのくらい給料を貰っているかは不明だが)もいる。早稲田で働く人たちの中で「都の西北」を3番まで歌うことの出来る人は急激に減少しつつある。

大学という本来営利目的だけでやっているはずのない法人においても、コスト削減という錦の御旗の下で自前主義が消えてきている。まして株式会社においておや、である。某派遣会社の問題はその象徴であろう。飲食チェーン店などにおける「名ばかり管理職」の問題も、その下で働く多数のパート・アルバイトの存在抜きには考えられない。

今年の労働経済白書においては「近年のわが国の雇用は、パートタイマー、契約社員、派遣労働者などで増加が大きく、自らの就業形態と職業選択を不本意であると感じている者も増えている」とし、とりわけ製造業において人員が削減される一方でサービス業や小売業で非正規の従業員が増加している点が強く懸念されている。

マルクス経済学的に考えれば、労働者は自分の労働を商品として資本家に売り、それと交換に賃金としての貨幣を受け取る。資本家はこの労働という商品を用いて設備や原材料と組み合わせることで生産活動を行い、これを流通過程で商品として消費者(そのほとんどは労働者)に売ることで剰余価値(一企業の利潤という意味ではなく資本主義社会全体において生み出されるものという意味)を実現する。ここでは生産過程において労働者が賃金を受け取ることで流通過程において消費者として登場する、という点が重要である。共同体的な社会の中で、あるいは奴隷的な搾取や略奪によって生産を行っていた、資本主義社会以前の社会においてはマクロ的な意味での消費者は存在しなかったと言えよう。

資本主義社会が成熟するとともに、剰余価値率は傾向的に低落していく。これに経済的なフロンティアの枯渇とエネルギー・原材料における技術革新の停滞が拍車をかける。このようなマルクス的解釈が正しいとすれば、市場がなかなか拡大しないという前提の下では、企業が出来ることはコスト削減だけであり、最大のコストである人件費に手をつけざるを得ない。本来的には1970年代にはっきりと意識すべきだった「成長の限界」がバブル崩壊を経て漸く現出してきたというわけである。

ここにおいて日本の企業にとっての逃げ道は、中国を中心とする人件費の安い国での海外生産か、あるいは国内におけるアルバイト・派遣社員や外国人労働者の多用による人件費の節約である。要はいかに賃金を引き下げ、安く人を使うか、ということである。しかしこの方式は、マクロ的には、労働者が消費者そのものでもあり、先進国は消費社会になっている、という事実を無視している。その結果、消費は長期に停滞してしまう。

身体化された知識を駆使して生きる生業の経営者たちも、労働という商品を売るしか生きる道のない労働者に含めてよいと思う。むろん、ここで言う労働者とか資本家という用語は抽象的・マクロ的な概念であり、現実的・ミクロ的には労働者でかつ資本家も存在することは当然である。このマクロ的な意味での労働者に賃金が十分に配分されていないところに、バブルでしか景気が浮揚しない先進国資本主義の問題の本質があるのではないだろうか。

労働経済白書にも小生の持論と似た指摘があった。すなわち「高度な技術・技能を備えた人材は一朝一夕に育つものではなく、長期の期間をかけて育成されるものであり、その成果は、一国の産業競争力を規定することとなる。バブル崩壊以後の我が国は、厳しい経済停滞の中にあったため、この十数年のあいだ長期的・計画的な視点から、人材を採用し育成するという努力を怠り、若年層を中心に不安定就業を増やしてきた。また、これらの結果、正規雇用の職場で、長期間かけて養成される職業について、顕著な高齢化が進行し、若年層に技能が継承されることなく、その職業が急減するという危険が高まっている」というものである。

身体化された知識を形成して付加価値を生み出すことが出来るようにするためには、経営者・資本家も一定期間我慢して人的資本の投下をしなければならない。しかし、目先のコストダウンが優先されるようになると、この我慢が出来なくなる。そして結局は、高い付加価値を生み出せる人材が社内にいなくなり、自らの首を絞めることになるのである。

量産時代のものづくりにおいては単純作業の工程も多く、いかに人件費を下げるかが重要な戦略となりえたが、高い技能・技術を必要とする多品種少量生産においては、とりわけ規模の小さい企業の場合、従業員全員が高い付加価値を生み出す戦力となっていく必要がある。アルバイトや外国人労働者を使って安くあげるという発想は通用しない。全ての労働者に「身体化された知識の原理」が適用されるのである。

外国人労働者に関することを書くためにインタビューした2人の経営者は次のように語った。一人目の、高度な金属材料技術を持つある鋳造業(従業員数70名)の経営者は「弊社では外国人研修生を受け入れておりません。それは、まず第一に、受け入れて指導するにしても、指導する側とされる側の双方に彼がこの会社で骨をうずめるという意識がない状態では、根幹が抜けてしまう可能性が高いからです。そして、第二に、結果的に、嫌な仕事、汚い仕事、厄介な仕事、など3K的なものを研修生に任せるような風潮が社内に起きることの弊害を心配・危惧しているからです。これはとりわけ、今いる若手日本人社員への悪影響(甘え)を大いに懸念してのことです。むろん、海外からの人材登用について、全面的に否定している訳では全くありません。共に生活の基盤を同じ会社に置き、共に苦労しつつ、明るい将来へ頑張っていこうという方であれば、一緒に同じ目標へ向かって共に過ごしたいものと考えています」。

一方で、こういう対応をしているところもある。平成年間に入って創業し、高度設備を導入して規模を拡大しつつある金属加工業(従業員数40名)の経営者は「うちでは2名雇っています。37歳の中国人と27歳バングラデシュ人です。どちらも大学院を出ており、就労ビザです。彼らは現場でいろいろな仕事をしていますが、大変優秀です。会社の方針は「仕事と賃金で差別をしない」ということです。出来るだけ長くいてうちの会社の主戦力になってもらいたい。彼らは幹部候補生です。自国に帰ったとしてもそこで幹部になってもらいたいと思って鍛えています」。

高度な技術を追求するこの二つの企業の経営者に共通している意識は、一つには、外国人にも自社でじっくりと、高付加価値の仕事をするために必要な技術・技能を身につけて戦力になってもらいたい、ということ。もう一つには、そのためには待遇面で日本人と同等に扱う、ということである。

日本の経済全体が「量より質」の方向に進んでいくべきものであるならば、企業は労働をコスト増要因と捉える考え方をまず改めるべきであろう。労働者を真っ当に雇用し、彼らに真っ当な賃金を支払い、じっくりと身体化された知識を形成してもらうことが、ものづくり立国においても、消費社会においても大前提なのである。
2008-8-31

毎年同じように、バタバタと忙しく夏が去っていきます。「大学の先生」というと、どうも世間的には夏休みはゆっくりと別荘にこもったり、海外に行ったりと言うイメージがあるようなのですが、なぜかそうした「理想形」からは大きくずれたままです。
今週も日帰りで大阪から高松まで行きました。さすが、日ごろの行いのよい私だけあって、全国的に豪雨・・・電車は止まったり、遅れたり、当然、せっかくの瀬戸大橋も窓の外は、真っ白でどこが海だかなんだか・・・・まあ、仕事が無事に終わっただけでも、よしとしよう・・・・そう高松駅の立ち食いさぬきうどんをすすりながら自分を慰めたのでした・・・・
この豪雨。行きつけのお店の地下が水没したそうです・・・中部、関東のみなさま、被害はなかったでしょうか。
焼酎づくりの現場を訪ねて ~ 焼酎ブーム終焉の中で

ある委員会に出席したら、「この焼酎ブームの波に、我々も乗って・・・」という話が出た。「残念ですけど、もう終わってますよ」とお話すると、少しがっかりしたような反応があって、「日本酒もいまひとつだし、焼酎も終わりですか・・・」という会話になった。
そもそも若者のアルコール離れが顕著になりつつある。ビールの消費量は、1994年をピークに減少している。発泡酒や第三のビールの消費量も減少傾向が止まらない。その中で、チューハイやカクテル類が伸びてきたといわれていた。そして、一躍ブームとなったのが焼酎、そして沖縄の泡盛だったのだが・・・・
実はすでに今年の3月には日銀鹿児島支店が、焼酎ブームは終焉したとのレポートを発表している。(http://www3.boj.or.jp/kagoshima/data/note/n0802.pdf)

今年の5月。鹿児島の霧島に行きました。薩摩酒類販売(有)の「第1回取扱店交流会」に招かれてのことでした。ご無理をお願いして、蔵元を二軒、廻らせていただきました。

一軒目は、祁答院蒸溜所。この蔵元は、少し変った歴史を持っています。明治時代に甑島下甑に創業した蔵元なのですが、島での焼酎粕処理、工場排水、原材料確保などが問題となり、薩摩川内市祁答院町に移転。法人化されるとともに、改めて醸造を始めた蔵元です。なので、建物は、まだピカピカ。「こういう新しい建物で焼酎を造ると、雑菌がいない分、すっきりとした飲み口のものができるんですよ。」また、普通は甕で作るところを木槽で作るなど、、新しい試みをしています。この蔵元の杜氏は、黒瀬明氏、当年とって74歳。20代から焼酎造りに携ってきたベテラン中のベテランです。その杜氏が麹を米に混ぜる工程を見せて頂きました。若手の職人さんが集まって、その技を学ぼうという視線が集まる中、黒瀬氏がやわらかく、そしてしっかりと麹をなじませていきます。みんなが、黙ってその手さばきを見ていると、ふと振り返って、にっこり笑って、「あ、中村さん、やってみますか?」 ・・・・へ? と、間髪入れずに周囲から「と、杜氏!?」と当惑した声が・・・「冗談だよ ははは。」 通常であれば、隠居してしまっているご年齢。しかし、職人の姿はかっこいい。後で手を見せて頂いたが、長年の作業で指紋が消えていました。

二軒目は霧島町蒸留所。こちらは明治44年に創業した古い蔵元。建物や使用している甕なども古い歴史を感じさせます。銘柄は「明るい農村」。名前がファンキーなので、ちょっと軽い感じを受けますが、なかなかどうして歴史と伝統のある蔵で作られています。発酵している甕を覗かせていただいたいのですが、まるで甕の下で火を炊いて、沸騰させているように、ボコンボコンと泡が吹き出しています。甕には、ビニールがカバーとして取り付けられていますが、それは発酵が最高潮になるとグルングルン廻って、飛び出してくるからだそうです。焼酎の麹は、発酵するとクエン酸を出すので、雑菌が繁殖しない。だから暑い地方でも醸造が可能だと教えていただきました。こちらも古い建物ながら、若い人たちがきびきびと働く姿が印象的でした。

さて、翌日。取扱店交流会の会場に。九州の西端、鹿児島まで全国各地の酒屋さんが集まっています。少し驚いたのは、酒屋さんたちの中に若い人が多いこと。正直なところ、いつもは商店街や組合の集まりに出席すると、「後継者がいない」、「経営者も高齢化で」という話ばかり聞くのですが、ここに集まっている平均年齢は、そうしたいつもよりも若い。
考えてみると、わざわざ鹿児島の蔵元の呼びかけで集まってくるだけの意欲があるのはまだまだ経営に情熱のある人たちであり、年齢相も若いのは当たり前だろう。

さて、この薩摩酒類販売という会社は、「どこの町にも、元気なお酒屋さんがある。それが私たちの夢です。」というのをモットーしている。古屋芳高社長は、小さな蔵元と、全国の酒店を繋ぐことで共存共栄を図ることができるはずだと言う。交流会場には、自社直営の蔵元だけではなく、そうした考えに共鳴した中小の蔵元が参加し、集まった酒店とあちこちで試飲と意見交換が行われていた。

この日の交流会。薩摩酒類販売の担当者たちは、全国から参加者を募るのに苦労しようだった。というのも、東北のある日本酒の蔵元が、やはり全国の酒店を集めた交流会を開催する日とぶつかったのだ。

「焼酎の蔵元でも中堅の経営は、今年以降苦しくなるでしょう。ここ数年続いた焼酎ブームで、醸造量を増加させてきた。金融機関も積極的に設備投資に協力してきた。しかし、すでに昨年あたりから変調が見えていた。酒造りというのは、今日言って明日できるというものではない。ブームだからと投資して、それが出来上がってくる頃にはブームが去っているというのは、以前にあったのですが・・・・」と、地元の新聞社の社員は話す。「醸造したものの行き場なくなってタンクに入ったままのものが、相当量あるのを知っている。大手の場合は、福岡や大阪、東京などに営業所も持ち、飲食店関係などにも独自の営業ルートを持っているが、今回の焼酎ブームで急成長した中堅は代理店任せで販売量を増やしてきた。ブームが終わるとなった途端に、取扱量を減らされ、一気に立ち行かなくなる」と話してくれたのは、ある金融機関の職員である。

「製造側にも責任がある」と話すのは、鹿児島のある飲食店の経営者である。「雑誌に取り上げられたからと言って、ブランドのようになるケースが多い。製造側も勘違いして、自らプレミアをつけてみたり、転売するのを判っていながらあまりよろしくない業者に卸し出す。地元では、早々と見捨てられ、急激に生産量を増やすために、他の蔵元からかき集めて出荷し、結局、評価を落とす。そういう蔵元がある。」

そうした中で、量販店に大量に販売することで経営を拡大する。そうした方針と一線を画そうという蔵元や卸や販売店が出てきている。東北の日本酒の蔵元もそうした考えを持ったひとつのようだ。 「こうした動きがどこまで成功するか。それぞれの蔵元が小さいことだけがウリではダメだ。ブランド力をどれくらい持てるか。ブランド力を持った後で、販売ルートを限定するなら簡単だが、販売ルートを限定した後で、ブランド力を形成できるのか、注目している。」と、ある酒販店の経営者は冷静に話す。

しかしいずれにしても、我が国の高齢化は進展し、マーケットそのものが縮小していくことは避けられない。さらに、冒頭で述べたように若者のアルコール飲料離れや、周期の短いブームの中で、蔵元や卸や販売店は、どういった生き残り策を講ずるべきなのだろうか。
交流会で熱心に質問をしたり、意見交換をする若い販売店の経営者たちと、小さいけれど誇りをもって醸造に取り組む蔵元たちと、それらを結び付けようと懸命になっている卸の社員たち。「個人商店はもうだめだ」という暗い雰囲気が多い中、新しい動きが感じられると同時に、こうした動きが全国で沢山生まれ、さらに切磋琢磨されると、おもしろいことになるのではと思ったのでした。
中途半端な中堅は、淘汰され、「大企業」と「強小企業」に分かれていくのではないか。そう考えるこのごろです。