おしんとは言わないまでも
両親は家内制手工業
朝から夜遅くまで働いていた
子育てについての方針などなく
そもそも関心もなく
生活に汲々としていた
父は昭和一桁生まれ
男尊女卑で
母はただ付き従っていた
3人きょうだいの第一子のわたしは
小1の頃
遊びに行くなら
乳母車に乗せた弟をつれて
行くように親に言われた
そんな こぶつきの子は
誰もいないから
妙に貧乏くさい気がして
本当に嫌だった
公園で友達と遊んでも
心から楽しめなかった
それは多分10回もなかっただろう
だけど何十年もその思い出は
嫌な気持ちとして居座り続けた
弟が保育園に入ると
夕方の迎えを頼まれたことが何度かあった
小2や小3の頃だ
なんでうちは
こんなに貧乏なんだろう
お姉ちゃんだからって
理不尽だ
ある日
その保育園の前の公園で遊んでいて
わざと
迎えの時間が来ても行かなかった
きっとひどくお母さんに怒られる
分かっていたのに
行かなかった
焦燥感でひやひやしながら
友達と遊び続けた
母が保育園からの電話で
慌てて弟を迎えに行き
公園で遊んでいる私に気づき
どうして迎えに行かなかったのかと
嫌味のように言われた気がする
あまり確かな記憶がない
自分がどう答えたのかも覚えていない
でも
友達と遊んでいるのに
弟のお迎えなど行きたくなかったという気持ちは
よく覚えているし
そう正直には言えなかったことも
覚えている
小5からは
階段の掃き掃除
お風呂掃除
小6からは
夕飯の食器洗いと
お米研ぎ
階段とお風呂は妹と交代になったが
弟は幾つになっても
家の手伝いをさせられなかった
毎日 「早くやれ」と
父親に怒鳴られるまで
ぐずぐずとやらなかった
今ならわかる
私は
頭ごなしの命令じゃなく
なぜ手伝って欲しいのか
言葉を尽くして説明と説得をして欲しかっただけ
学校に行ったら
先生に褒められたり
テストで良い点を取れたり
何やらうちより丁寧に扱われる
あれ?私って
結構出来の良い子なの?
家より断然学校の方が
自分を否定されることもない
「バカモン!」と怒鳴られることもない
そのギャップが不思議だった
良い点のテスト用紙を
意気揚々と両親に自慢したら
父は「そんなものができても
家の手伝いや
なんでも早くできなければダメなんだ」と
母は決して父には反発しないから
黙っていたような気がする
とにかく父は学校でどんどん知識を得て
口答えする私が疎ましそうだった
私は心のどこかで
学のない父親を
軽く見るようになり
男尊女卑を軽蔑にした
今なら
あーあ、まったく
仕方ないねえと
思えるのだけど
少女の頃の自分の気持ちを
掬い上げて
成仏させたい