昨夜は同級生二人を誘って、三人で富山駅前で飲みました。

二人は共に中学時代の同級生ですが、いざ会って話すと、すぐに中学時代のノリになってしまうのが不思議ですよね。

色々と店を〝梯子〟しながら、結局日付が変わるくらいまで三人で思い出話に花を咲かせました。

最近は仕事が忙しかったこともあり、めっきりそのような機会も無かった私にとっては、久しぶりの「楽しい夜」となりました。

 

そして、これは〝同級生飲みあるある〟なのかもしれませんが、やはり集まると必ずと言っていいほど他の同級生の近況が話題に上がります。

大企業で出世している者、独立して自分の事業を立ち上げている者、社会に適応できずに引きこもっている者、犯罪に手を染めて刑務所に服役している者・・・。

皆、中学卒業から様々な過程を経て、それぞれの人生を歩んでいるようでした。

私が現在、同じ富山県内ながらも地元から離れた場所に住んでいることもあり、普段は同級生と会うことも無ければ、その近況を知り得ることも無い訳ですが、それでも三人が集まれば結構な人数の近況が知れるものですね。

話を聞きながら懐かしい気持ちになると同時に、恐らくもう二度と関わることが無いであろう大多数の同級生たちに「俺の方は変わらず元気でやってるから、まぁ君は君で頑張ってくれ」と、謎のエールを送りたくなりました。

 

しかし、今から考えたら小・中学校というのは本当に不思議な場所ですよね。

何せ、ただ「学校の近くに住んでいる」というだけで、何の〝属性〟も関係なく一つの「箱」に集められる訳ですから。

当時は学力の良し悪しや友達の多寡(多い少ない)くらいの違いで済んだものが、このくらいの年齢になると人生全体の違いとなって表れてしまいます。

従って、ある程度〝属性〟が似通ってくる高校や大学のメンバーで同窓会をやるのはまだわかるのですが、少なくとも私は、小・中学校という単位で同窓会をやることに全くと言っていいほど意味を感じません。

それは決して彼らを見下している訳では無く、そもそも人間というのは〝属性〟が違う者同士で話しても絶対に話が噛み合わないのです。

とは言え、それはあくまでクラスや学年という単位で無造作に集められた時の話であって、昨夜のように気の合う仲間で語り合う時間というのは文字通り「一生ものの思い出」ですよね。

改めて、昨夜は本当にありがとうございました。

(メキシコに行っても頑張ってね)