町名由来板2 | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

市内には、30近くの町名由来板が設置されているらしい。北は駅から、南は狩野川河口の港大橋あたりまでの地域のようだ。

 

よく通りかかるうちの近所にも、町名由来板はあった。

No.22市場町。

神社の前に設置されていた。ブログトップの河津桜とヒヨドリの写真は、この神社で撮った。

中央やや右よりに、由来板の土台背面が見える。

 

この神社を「はちまんさま」と呼んで、子どものころの遊び場だった。

小学5、6年のころだった。はちまんさまの近くに住む同級生たちが放課後ここに集まって、境内を駆け回って遊んだ(罰当たり)。

 

「ろうにん」という遊びがあった。集まれば必ずやるのがこれだった。

ふたつのグループに分かれてそれぞれ陣地(大きな木など)を決め、相手の陣地を奪いに行く。すきを見て陣地にしている木の幹にタッチすればいい。けれど、陣地から離れているときに相手にタッチされると捕虜になってしまい、味方が助けてくれるまで相手陣地につながれていなくてはならない(木の幹に触れていなくてはならない)。

 

「ろうにん」は「浪人」だったのだろうか。どうしてこういう名前の遊びだったのか、今でもわからない。

 

あのころ、写真では左側の木立の中に池があった(今は埋め立てられている)。遊び仲間にとても運動神経のいい男子がいて、この子が池の上に張り出した枝に高鉄棒の要領で飛びついたことがあった。ぐるんと回るか、体をふってまた岸に飛び戻るかするつもりだったのだと思う。

 

けれど、飛びついたとたんに枝はぼきりと折れて、彼は枝を握ったまま池の中に消えたのだった。

 

池は浅くて、彼はすぐに苦笑いしながら立ち上がり、水をぽとぽと落としながら家に帰って、着替えてまた何事もなかったように遊びに加わった。(こういう子がいるから池を埋め立てたというわけではないと思う)

彼は中学で野球部のエースになり、中体連で活躍した。

 

当時、はちまんさまの裏に市立図書館があった。私は毎週はちまんさまの境内を通って図書館に通った。

 

No.23吉田町。

左下のわかりにくい写真の「馬車の碑」。これがある御嶽(みたけ)神社も近所なので、行ってみた。ここは「おみたけさん」と言っていた。

 

何がなにやらわからないけど、たぶんこの左の碑が「馬車の碑」なのだろう。(「馬車」の碑ってなんだろう)

 

一番左の文字は「碑」だろうか。真ん中の字はわからない。右からの横書きだっただろうから、損なわれている部分には「馬」とか「車」などがあったのだろうか。

 

縦書きの漢文のようなものはすり減っていてほぼ読めない。(すり減っていなくても読む知識はない)一番左の行に「明治十九年」と彫ってあるらしいのがわかる。

 

No.24三園町。

よく買い物に行くスーパーのすぐ近くにあった。

あれこれ見ながら歩いているつもりなのに、見落としているものがたくさんある。

 

私は、きっと多くのおもしろいものを見逃しているのだろう。生き物や草花は移り変わるから、タイミングを逃すと見られないものもある。でも、こういう動かずにずっとあるものにも、気づかずに通り過ぎている。

良いものを見つけるいい目を持ちたい、と思う。