町名由来板 | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

蛇松緑道の狩野川べりが整備されたとき、町名由来版を見つけた。

この地域が「蛇松町」と言われるようになったいきさつが書かれていた。

そのとき、こういう町名由来版が市内あちこちにあるらしいことを知った。

 

先日、この蛇松町の由来版に記載されている地図にしたがって、ここに紹介されているあと二つの町名由来板を探しに行ってみた。

 

蛇松町から5分も歩かずに「17 春日・蓼原(たではら)町」の町名由来版がある。(蛇松町は16番目の町名由来版らしい)

 

確かにあった。見つかったけれど……。

いったい何があったのか、全然読めない。ここに写真、こっちに地図、このへんに文字があったのだろうということはわかるけれど、書かれていることは全然わからない。

 

「17 春日・蓼原町」の町名由来版は、こんなふうに設置されている。

どの町名由来板も、御影石のような黒っぽい石の土台の上を斜めに切ったような形で、そこに由来を彫った金属板がはめこんである。

 

春日・蓼原町の由来版は、港大橋の右岸、川下側のたもとにあった。背後の手すりは港大橋で、このまま左へ行けば港湾に行く。制圧器(都市ガス?)とゴミ置場にはさまれて、ちょっと殺風景な場所ではある。

 

町名由来版について調べていたら、この場所の動画を見つけた。やはり町名由来版を訪ねて歩いている人が作っているようで「せっかくのものなのに、これじゃ何もわからない。あとで市役所に言っとこ」というような声が入っている。

その動画は2021年のもので、それで見るかぎり今回撮った写真よりひどい状態に見える。

 
そしてさらに、市のホームページ「令和5年3月分『市民の声』一覧」に
「No.17春日・蓼原町の町名由来版の損傷著しく、記載内容がほぼ消失してしまっているため修復をご検討いただければと思います」

という声が寄せられていたこともわかった。

 

この「声」に対して

「ご指摘の通り経年劣化により、記載内容が確認できない状況にありましたので、今回過去のデータを基に、内容がわかるように修繕いたしました」

と回答されている。

 

でも、これが去年の(令和5年って去年でいいはず。普段西暦を使っているので、わからなくなる)ことなのに、「修復いたしました」から1年ほどで、すでに上の写真のようになっているのは「経年劣化」とは別の原因があるに違いないと思うのだけれど。No.17のミステリー。

 

金属板の、文字などのないところは特に損傷されていないように見える。だとしたら、誰かが故意にしているのだろうか。それは、どういう気持なんだろう。

とがめるというより、その理由が知りたいと思う。

 

「15 宮町」の町名由来版。

街路樹の下に設置されていたので、木の葉の影で読みにくい。

 

この「宮町」の由来となった浅間神社の前を6月の終わり頃に通りかかったら、境内に茅の輪が造られていた。周辺の商店に「夏越しの輪くぐり 6月30日夕」という張り紙があり、ああ、茅の輪くぐりだな、30日に来てみようかな、と思っていた。でも、30日は雨だった。

夕方には上がっていたようだけれど、なんとなくそのまま忘れてしまっていた。

 

浅間神社の鳥居の外で5月に見つけたフデリンドウ。

写真に撮るとなぜかちょっと紫がかってしまうけれど、空を切り取ってきたような青い花だった。