蛇松緑道の狩野川べりが整備されたとき、町名由来版を見つけた。
この地域が「蛇松町」と言われるようになったいきさつが書かれていた。
そのとき、こういう町名由来版が市内あちこちにあるらしいことを知った。
先日、この蛇松町の由来版に記載されている地図にしたがって、ここに紹介されているあと二つの町名由来板を探しに行ってみた。
蛇松町から5分も歩かずに「17 春日・蓼原(たではら)町」の町名由来版がある。(蛇松町は16番目の町名由来版らしい)
確かにあった。見つかったけれど……。
いったい何があったのか、全然読めない。ここに写真、こっちに地図、このへんに文字があったのだろうということはわかるけれど、書かれていることは全然わからない。
「17 春日・蓼原町」の町名由来版は、こんなふうに設置されている。
どの町名由来板も、御影石のような黒っぽい石の土台の上を斜めに切ったような形で、そこに由来を彫った金属板がはめこんである。
春日・蓼原町の由来版は、港大橋の右岸、川下側のたもとにあった。背後の手すりは港大橋で、このまま左へ行けば港湾に行く。制圧器(都市ガス?)とゴミ置場にはさまれて、ちょっと殺風景な場所ではある。
町名由来版について調べていたら、この場所の動画を見つけた。やはり町名由来版を訪ねて歩いている人が作っているようで「せっかくのものなのに、これじゃ何もわからない。あとで市役所に言っとこ」というような声が入っている。
その動画は2021年のもので、それで見るかぎり今回撮った写真よりひどい状態に見える。
という声が寄せられていたこともわかった。
この「声」に対して
「ご指摘の通り経年劣化により、記載内容が確認できない状況にありましたので、今回過去のデータを基に、内容がわかるように修繕いたしました」
と回答されている。
でも、これが去年の(令和5年って去年でいいはず。普段西暦を使っているので、わからなくなる)ことなのに、「修復いたしました」から1年ほどで、すでに上の写真のようになっているのは「経年劣化」とは別の原因があるに違いないと思うのだけれど。No.17のミステリー。
金属板の、文字などのないところは特に損傷されていないように見える。だとしたら、誰かが故意にしているのだろうか。それは、どういう気持なんだろう。
とがめるというより、その理由が知りたいと思う。
「15 宮町」の町名由来版。
街路樹の下に設置されていたので、木の葉の影で読みにくい。
この「宮町」の由来となった浅間神社の前を6月の終わり頃に通りかかったら、境内に茅の輪が造られていた。周辺の商店に「夏越しの輪くぐり 6月30日夕」という張り紙があり、ああ、茅の輪くぐりだな、30日に来てみようかな、と思っていた。でも、30日は雨だった。
夕方には上がっていたようだけれど、なんとなくそのまま忘れてしまっていた。
写真に撮るとなぜかちょっと紫がかってしまうけれど、空を切り取ってきたような青い花だった。