こんにちは。
ここ数日は、知恵が
働かない日々を過ごして
います。知恵とは、生きる
為の道標となります。
生きる事は、苦しい事では
あります。何故ならば自分の
思い通りに動いてはくれない。
ロボットや機械のように
故障する時に自分で身動きが
取れなければ他人の力を借りる。
借りる事は他人に迷惑をかける
又は代償を払うような気持ちも
分からなくも無い。
なるべく、自分の力で進められたら
善いとは思います。
食事とは、何だろう。
食とは、人を良くすると書きます。
ある僧侶が言いました。
食事とは、薬膳である。
食べたら、美味しいか?不味いか?
判断が出来る。そのような感情を
持てる事は、幸せであるでしょう。
五蘊と言う言葉があります。
色受想行識の意味があり
原因の場所は、眼耳鼻舌身意
場所を受けて、色聲香味觸法
元々は、空であったのに何故
人は苦しいのか?感情があって
気持ちがあるからである。
般若心経の読む意味には、原点
に戻れと言っているのかも知れません。
食事をする時、口に入れる。
読書をする時、眼に入れる。
香を楽しむ時、鼻に入れる。
お風呂に入る、身に入れる。
学ぶ時間は、意味を考える。
そうして、智識を蓄える事で
いろんな引き出し口を作る。
小池陽人氏の人を比べるのでは
無く、個人の自由に従うと言って
おりました。コレも人を良くする
事ではないか?人と比べると言う
のは、とても苦しい想いである。
自分が上に立たなければならない
と思ってしまう。自分らしさを
取り戻す意味でも、比べないと言う
生き方も一つの人生でしょう。
食事には、口だけで無く眼や鼻や
舌や身体から受けて、感情が起こる。
喜怒哀楽のように感情を受ける。
ソレは、人間らしいものでもある。
特に口は災いの元とも言われますが
災いが引き起こす事で人が悪くなって
しまったならば、逆に食事を促し
人を良くするような方法を作る。
決して、口に与えるもので無く、
眼や鼻に至って伝えるものがあります。
耳の心地良い声も宜しいでしょう。
その中で心が安静である事を願うのである。
この学問を唯識である。
心が安静とは、如何なるものか?
苦しい状態の事か?楽しい状態か?
いいえ、その中間を言います。
苦しければ、何故苦しいのか悩みます。
楽しければ、気持ちが冷静さに欠けて
判断を失います。要は、普通が一番だと
考えるべきです。
何か足りないと思ったら食事する事です。
身体に善い事をしたり、頭を鍛えたり
癒しを得る為に外の空気を吸ったり
いろいろあるように思います。
知る恵み。悩みのある人入れば
そっと、教えて善いと思います。
困ったら、助け合いの精神であると。
他人をイジメていたら、つまらない事
だから辞めなさいと諭す。
人に良い事をするとは、和を貴しと
成す事にあると思います。
聖徳太子様から始まった事ですが
みんな、他人事であると自分の事ばかり
本来ならば、困っている方を助ける事が
和を貴しと成す事に気づいていない。
真言宗には、相互供養と言う精神があり
互いに助け合う事の大切さを教えています。
人を良くする為には、何が善いのか?
皆さんの中で考えて欲しい項目です。
令和6年 8月2日 南無大師遍照金剛 合掌