おはようございます。


4月は始まりですが


お寺の行事は、釈迦様の誕生日。


尊い方が生まれた有難い日でも


あります。今日の議題は、無関心


についてです。


コレも差別用語なので本来では


使うべきでは無いけれども。


このまま、無関心な事が続けば


進歩無しと捉える人も多く見える


でしょう。無宗教、無関心。


宗教も政治もここまで愛されない


理由を探して見る。


ソレは、お金絡みがあるからだと


思います。触れれば怖い。


宗教も政治も触れると批判を集める。


近寄り難いものだからこそ触れない。


無関心とは、愛着を失った人の気持ち。


これ以上深入りはしない為に


あえて距離を置いている。


三国志の軍師家諸葛亮孔明は政治家こそ


有望な職業だと主張している。


ここまで、人気が落ちてしまった事を


受けてしまえば残念ではある。


国民は何の為に働き、何の為に生きるか?


宗教や政治が関心を持てれば良いが


畏れ多い事であるし、愛着も無い。


少しずつで良いから何か変わるものを


得たいと感じているところである。


過去に批判のコメントを寄せた人の


気持ちを受け止め、今も何かが足りない


と思っている次第である。


この関係を良くする為には世論の意見も


取り入れて改善に努める。


今こそ、日本が輝きを得る絶好の機会


ではないか?無関心論を変える何かを


得たいと想い、このような記事にさせて


頂きました。意見交換の場として


どうぞ活用下さい。


令和6年 4月3日 南無大師遍照金剛 合掌