こんにちは。


昨日は、守谷のお寺を訪ねました。


涅槃図の絵解きをお願いして


善い一日を過ごしました。


最近、先学の先生たちの学びとは


如何なるものか?


真言宗の空海研究の第一人者である


宮坂宥勝氏を始めとした勉学も見所


では無いかと感じます。


日本人の宗教の意識は、世界から


驚かれると言います。


何故ならば、宗教への信仰が全く無い。


日本の仏教や神道についても


全く興味を持たない。先祖供養に関して


墓参り行事も墓掃除に関して若い人が


率先して行う事が無いようである。


世界に行くと日本人がびっくりするように


宗教信仰や儀礼について率先している


人の積極に行っている事を考えると


最早、日本人は宗教の自由さを堕落と


考える人もいる。何故にこのような現象


が起こるのか?先ず、人のゆとりが消えた。


日本人に休息時間が無く、いつも仕事に


追われている事である。二つ目は、上を


崇拝する観念が無い。明治以前の武士道


には、上下関係がありました。


福島に伝統的に残っている文化もあるよう


ですが、受け継ぐ人の意識が重要になるの


です。誰一人として反対せず従うと言う事


反発が起これば、意味が無いのです。


宗教には、一貫として共通している事は


上にある人を立てる事にあります。


すなわち、キリスト教も神道もイスラム教


も神を奉る事にあります。


仏教でも仏を上に祭る事にありますから


この上に祭る行事の意識が低い事が言えます。


例えば、先の先祖供養に至っても


先祖が尊敬に値しない存在であると


崇める行為が無くなると言うのが発生して


しまいます。そうなれば、財産だけ


頂ければ後は供養はしたいだけの存在。


宗教の儀礼意識が無くなると言う事です。


我々、僧侶の立場も崇拝対象も薄くなり


日本人の宗教信仰もだんだん希薄意識に


なるようになるだろうか?


また、喧嘩や争いや犯罪が増加している


中で如何に指導者が啓発すべき事の何か


を問答する者も無く。問題者に至っては


遠ざかるしか術が無い。従って、問題者


の溜まり場になる事は見えているのである。


あるニュースでこのような話がある。


昔は、警察官や教師が一番に尊ばれた。


もちろん、僧侶も上として崇められた。


今は、誰一人として尊敬は無い。


コレが事実であれば何を持って誇りを


持てるかになるのだろうか?


大正世代に生きた人たちも世を去って


若い人たちがこれからの世を背負う訳


ではあるが、問題だらけではある。


意識が無くなれば、思想も変わる。


ただ、自由奔放に走るのでは無く。


倫理観や道徳観をしっかりと定める。


日本人の武士道精神に筆者は力を


入れたいと考えます。


今日は、そのような重要な事を言わせて


頂きました。


令和6年 3月22日 南無大師遍照金剛 合掌