こんばんは。


今日の天気は雨でしたし


風も少し強く吹いてましたね。


大自然の中で私たち衆徒は


畏敬の念を払って来ました。


いつの頃か物質文明の急速な


発達に寄って溢れんばかりの


恩恵を享受し、幸福感や満足感


はあるものの、束縛された社会


や差別問題など幾つかの課題は


あるであろう。


仏教を学ぶ上で迷いと悟りは


初歩的な学問として取り上げ


られては、議論されて来た。


迷いを闇と表せたならば


悟りは光である。


迷いと悟りは常に繰り返す事が


ある。迷いがあるから悟りに


近づき、悟りがあるから逆に


迷いの境地にある。


すべての現象は苦である


般若心経には、苦を恐れず


前へ進めと説く。


ソレは、迷いの苦もあれば


悟りの光もあるからである。


悟る力があるから生きる力を


貰っている事だろう。


つまり、迷いと悟りの中で


我々は一つの答えを出そうとして


いるのではないだろうか?


自分だけの答えを出す為に


幾つもの迷いと悟りを繰り返す。


辛くなったら般若心経を読んで


初心に戻る。ただひたすら読む


瞑想をして見る。瞑想の極意は


ただ集中して坐禅する事である。


坐禅とは、ただ座る事を意味とする


のでは無く、気持ちを楽にする。


正確には心を安定にする事である。


令和6年 2月19日 南無大師遍照金剛 合掌