おはようございます。


昔、女王の教室と言うドラマ


がありました。


見た方は、子供に対して何と言う


教育をしたんだと思う人も居たと


思います。しかし、結果的に子供


の非行を改めて他の教師も驚く位


の実績を伸ばしています。


その頃からでしょうか?


勝算と言う考え方を頭に入れたのは。


もう一つのストーリーを紹介します。


真言宗豊山派と言う組織が何故に


布教の事業を展開したのか?


やはり、裏の考え方としたら勝算


があったに違いないだろう。


ある僧侶と出会いました。その方は


豊山派で権田雷斧大僧正の息子の


権田快寿に師事された弟子だと言います。


権田雷斧大僧正は、明治の近代において


名のある僧侶として歴史に残っている


人物である。新潟は布教のふるさとだと


言いました。廃仏毀釈によって神社や


お寺は分離し、多くの寺院が壊されます。


もちろん、真言宗も存亡の機があった


ようです。そんな中で真言宗が生き残る


為には布教が第一と考えた人こそ


権田雷斧大僧正だと言います。


権田雷斧大僧正は、一度は豊山派を抜けた


僧侶と言われています。


学識があり、勝算もそれなりにあった人


のように思います。


当時の幕府体制から譲位新政府体制時代の


仏教史を調べ途中ですが、当時、一世風靡


で活躍していた浄土真宗派の布教を参考に


しているようです。


豊山派の布教の頭脳は浄土真宗派


だと言います。


浄土真宗派の概念は親鸞様を開祖として


いますが後に織田信長や豊臣秀吉時代に


は蓮如様が現れ、大変な人望を持っていた


と言う。蓮如様の言う布教は手紙のような


簡単で分かりやすいお話だったと言う。


民衆は挙って蓮如様を讃えたのだと思い


ます。そして、蓮如様を讃える和讃が


現れたり、弘法大師様を讃える和讃が


御詠歌や節談説教なる布教が現れるのです。


ある僧侶に会ったと話しましたが


その方は節談説教の第一人者です。


分かりやすく弘法大師様の一代記を伝えて


頂きました。ソレこそ、紙芝居のような


ものです。ある聴衆者が節談説教を聞いた


感想がまるで弘法大師様の映画を見ている


ようだと。分かりやすく人間の心を掴む。


コレが勝算のあった布教と言えます。


勝算は、初めから負ける事を頭に入れて


居ません。欲しがりません勝つまでは。


すなわち、勝つまで永遠に粘り強く


執念強く計算します。その中には


失敗もあります。失敗の中にも成功が


見える。試行錯誤あるのみ。


初めから負ける気持ちで望まない事。


必ず勝つ気持ちで望んで欲しいですね。


味方もつける。まだまだ未熟者ですが


さらなる上を目指して邁進します。


令和6年 2月4日 南無大師遍照金剛 合掌