こんばんは。


昨日は、弘法大師空海様の


誕生の日でした。


様々な行事があり、豪華な


法要だった事でしょう。


我々の僧侶は何の為に法要や


説教をするのか?


一つは、器を満たす事が言える


でしょう。


器が空っぽなのは、そこに


何かを施す為にあります。


食事や服やお金を入れる。


何かを与えられたら


その分だけ自分の好きな事


が出来る。器を空にするの


では無く、常に満たす事に


注目して欲しい。


貧富の差が出ると言うのは


器に満たしたものが出て行ったり


又は、器の満たすものをそのまま


にする人とかが居ると言う観点が


ある。無駄な扱いから無駄に使わない。


時代によって、役に立たなければ


見捨てられる。生き残る為には何が


必要だったのか?


ある寺院で満たされているが


ある寺院では満たされていない。


本当に価値あるものの存在とは?


器が満たす事が出来れば


人がこの空間を守りたいと言う


熱意があるならば。


お寺はその気持ちに答える。


令和5年 6月16日 南無大師遍照金剛 合掌