こんばんは。

 

人前であまり善い話を

 

し難い事がお坊さんの

 

欠点ではありますが

 

これからの仏教の本質は

 

包括だと考えます。

 

人に寄り添う事ですが

 

我々のお寺もその本質は

 

変わらないものがあります。

 

このお寺が出来て村の中心

 

として300年近くあるでしょうか?

 

江戸時代はこの寺院は単なる

 

檀家制度の民の身分を知る為の

 

戸籍としての役割だったと思います。

 

ただ、一つ誤解してはいけない事は

 

村を築く為には規律や掟などが

 

あったと思います。

 

その教えを求める場所がお寺

 

だった筈なのです。

 

個人のわがままでまかり通る話ではなく。

 

いろんな人の支え合って一つの集落の

 

塊だったと思います。

 

当の物井の歴史を知る為の文献は

 

それほど残っている訳ではないですが

 

宗教行事はきちんとされていました。

 

その一つが出羽三山信仰ではないかと

 

思います。御山の不動堂には儀式のお祓い

 

をする場所があり、えどやま(漢字は不明)

 

なる地名が残っています。

 

歴史の観点から言えばお祓いをする事で

 

村や人を繋げていたものです。

 

その行事は伝える人がい無くなれば

 

消滅するのです。それを少しでも阻止したい

 

考えがあります。

 

物井の地名を残す運動を掲げています。

 

この名前は後世に引き継ぐ名前である。

 

誰かの勝手な言い分で消える名前では

 

ないのです。その地域の伝統を残す名前

 

なのです。

 

 

 

 

 

 

 

令和2年 5月19日 南無大師遍照金剛 合掌